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2014年が、もうすぐ終わります。

病院のベッドの上で始まった今年を振り返ると、それはやっぱり禍の一年だったような…。

とはいえ、

人間万事塞翁が馬。

禍を転じて福と為す。

おかげさまで、逆境もプラスの因子に変えてこれたように思います。


「レジリエントな人」

というのは、何らかの個人的能力と周囲の人からのサポートを持っていると考えられている。


人ってね、思っているよりパーソナリティの可塑性は高く、レジリエンスが備わっているみたいです。


プラスもマイナスも、禍も福も、すべてのことに意味がある。

これは、ゆうちゃんに教えられたこと。

私に与えてくれるすべてのことに感謝です。


さて、昨年の大晦日は、「気胸」という負の初体験をしましたが、

今年の大晦日も、なんと人生初の体験が出来そうなのです‼︎

負の初体験じゃなく、嬉しい初体験ねっ‼︎

うふふ。

また、年明けに報告したいと思います。(*^^*)


今年もお世話になりました。

よいお年をお迎えください。
2014.12.29 Mon l 今日のゆうちゃん l COM(0) TB(0) l top ▲
祝日の昨日、熊野本宮大社へ。



良いお天気で澄んだ空気の中、気持ちいいー参拝!

と、いきたいところだったのですが、

目的地が気に入らない様子のゆうちゃんは、車から降りてくれず。(~_~;)

せっかく来たんだし、ふたりでお参りしておいで。と言ってくれるばあちゃんとゆうちゃんを車に残し、二人で参拝。



本宮は、すっかりお正月の準備に入っていました。

八咫烏の注連縄がなんともステキ。


ゆうちゃんに下車を拒否られ、さてこの後どうする?と、

川湯温泉をうろうろし、(残念ながら仙人風呂は、大雨後の為入浴できず)

『わたらせ温泉』に車を停めるもここも降りてくれず。

(T ^ T)

せっかくだし、なんとか温泉に浸かれないものか?と考え、道の駅に『足湯』があったことを思い出し、立ち寄ることに。



ここなら車横付けで足湯に入れるし、

しかも無料‼︎ 笑

その間ゆうちゃんは車で待機。

どうやら今日のゆうちゃんは、目的地はなく、ひたすらドライブが目的だった様子。

車を走らせている間は、鼻歌まじりでご機嫌さんなのです。

こんな日は、何処へ立ち寄ってもダメなので、諦めてロングドライブで帰宅。

ゆうちゃんの鬼ナビに、文句も言わずつきあってくれるチチがいて、ゆうちゃんは本当に幸せものです。


☆happy merry Xmas☆

世界中の子どもたちに笑顔が届きますように。
2014.12.24 Wed l 今日のゆうちゃん l COM(0) TB(0) l top ▲
最近のゆうちゃんの変化を。

な、なんと、外出時に帽子を被らなくなったんです!

え?なんや、そんなこと? ってお思いになられるかもしれませんが。

帽子は、ゆうちゃんがこだわっていたものの一つで、

気に入ったものしか被らないので、冬でも夏用だったりと、応用が効かないものでした。

ところが突然、

朝、帽子を忘れているので、「ゆうちゃん帽子は?」と聞くと、

「やめて」と言い、帽子を手に取らないんです。

えっ?帽子いらんの?? ←と、驚きのハハ。

どうやら帽子は手放した様子。

絶対必須アイテムを手放すなんて。

どんな心境の変化なのだろうか?←めちゃくちゃ知りたいっ


で、朝のCDの選曲にも変化が。

モーツァルトの「レクイエム」

なんでまたレクイエム?毎朝レクイエム聴きながら朝食の我が家です。笑





「あなたを成長させるのは、自分より賢い人ではなく、予測不可能な人」

というのを目にして、なるほど~と思った今日この頃。

想定外だったり予測不可能なことに出会えた時こそ、成長のチャンスなのですね。
2014.12.16 Tue l 今日のゆうちゃん l COM(0) TB(0) l top ▲
勝手ながら、前回の記事を削除しましたので、あらためて著書の紹介を。

知的障害の支援に関わる方には、ぜひとも読んで頂きたい一冊です。

その支援は、本当に本人のためになっているのか?

本人のため、と思っているが、本当は自分のためなのではないのか?

「親は、愛情によって、子どもの自立を阻む存在である。」

親も、支援に関わる人も、その支援は、本当は誰のためなのか?を考えなければならないと思いました。

さらに、物事への「抵抗読み」をしていきたいと思いました。

発達保障と共生共学については、これまでたくさんの意見に触れてきました。

その上で、私は、共に生きること、インクルーシブ、が大事だと考えています。

ただ、著者がいう共生共学の矛盾点は、まさに私が感じていた視点で、とても重要だと思います。


「わからないこと」を大切に。

「正解」なんてものはなく、「何を選ぶか」だけだから。

自分にとっての「答」をこれからも見つけていこうと思います。



以下、本文より抜粋。

興味持たれた方は、ぜひ読んでみてください!

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序章 知的能力をめぐる問題とは
1章 知的障害のある子どもの教育はどう考えられてきたか
2章 ノーマライゼーションの理念は正確に理解されているか
3章 知的障害のある人を対象にした生涯学習の歴史とねらい
4章 生活の変化から見る生涯学習の意義
5章 生活全体から生涯学習の課題を考える
6章 利用者の「主体」とは
7章 改めてのノーマライゼーションについて考える
終章 残された課題


1章の「知的障害のある子どもの教育はどう考えられてきたか」

共生共学の矛盾点。

①異なる者の共生しか想定していないこと
(カテゴリーを同じにしただけで、内部では強制や排除が絶えず行われている)

②普通学級における障害児の存在の意味づけそのものに無理があること
(「授業に障害児がついていけない」という現状に対して「障害児がいることでクラスが優しくなれる」
というような論点のズレが生まれてくる。
障害のある子どもは、クラスの中で障害のない子どもの「障害者理解」の教材と化してしまう。)

・・・

また、相反すると考えられてきた発達保障論と共生共学論の両論には、共通のふたつの視点が欠如している。と説く。

一つ目は、知的障害のある子ども自身の視点の欠如。

知的障害のある人たちが、地域で生活するために一番必要なことは、
自立する力や一般企業に就職ができ、職場に適応できる力ではなく、
自分に自信をもって生きていくことであると考えている。

二つ目は、俯瞰的な視点の欠如。

障害のある子どもが、その学びをどのように生活や卒業後に活かしていくことができるのかという視点である。
学校でさまざまなことを覚えたとしても、生活の場面で活かすことができないならば、知識の習得のみに留まってしまう。


・・・

フェミニズムの検証から。

「新たな言語」を生み出すということ。

あらゆる文脈は、男性の書き手、男性の主人公、男性の読者という男性中心的に構成されている。

そのため、何かを書こう、読もうとする人は、常に男性中心的な見方を強いられることになる。

ものの見方、その人は男性的思考法によって考え、書き記していることになる。

そのような女性が改めて「女として」読み、書くことは可能であろうか。

ショシャーナ・フェルマンは、このような問題の困難さについて、次のように書いている。

「我々の内に埋め込まれている男性的精神を追い払う」ことが必要であることは私も認めているし、

この主張を推奨したいとも思っている。

しかし、そうは言っても、私たち自身、男性的な精神をすでに内包していて、社会に送り出されるときには、

知らず知らずのうちに「男として読む」ように訓練されてしまっているのではあるまいか?

テクストを支配しているのは男性主人公なので、その男性中心的な見方に自己を同一化するようにと、

私たちは思い込まされてきたのである。

こんな状態で、男性的精神を追い払えと言われても、一体どこからそれを追い出せというのだろうか?

真のフェミニストとは、自分が今読んでいる文脈に男性的中心的書き方を見出して批判する人のことではない。

読みつつある彼女自身のなかで機能している男性主義な言語を振り返り、批判していくことである、とフェルマンは答える。

しかし、既に馴染みがあり、使用している言語、思考法を客観視しながら、新たな「別の言語」を使って語ることは可能なのだろうか。

この問い対して、フェルマンは可能であると答える。

「読む」という行為は、テクスト内に自分が期待していなかったことを見出してしまうという危険をともなう行為であり、

読者としてはその危険に抵抗せずにはいられないのである。

自分自身のイデオロギーや先入観に固執するあまり読むことに対して抵抗するということは、どんなことでも起こり得る。

無自覚に「男として」読んでいる読み手が、「自らに読むことを禁じているもの」をあえて明確にすること、

これが女としての「抵抗読み」の始点となる。

今、読みつつある私自身が必死に目を逸らしているものは何なのか、

私は、何を見、知ってしまうことに対して恐れ避けているのかということを前景化すること、

これがフェルマンにとっての「抵抗読み」ということになるだろう。

・・・

このフェルマンの問いかけの「男性」の部分を「健常者」に置き換えてみると、

いかに健常者の見方や考え方を中心として、社会が成り立っているかを、そっくりと当てはまることができる。

と、著者はいう。

・・・


「抵抗読み」の対象者は、援助者と障害のある人。

援助者こそ、自らの思考や言語を反省的に振り返る必要がある。

障害者の主体性や尊重や対等な関係を掲げつつも、

無意識に、援助者である自分の価値観に従うように強制していることを自覚するだろう。



知的障害のある人たちの支援を行ううえで、重要なことは

「わからなさ」を前にして援助者が援助のわからなさ、もどかしさを認識することであると思われる。

その難題は、援助者自身がどれだけ既存の枠組みに囚われているかという自己認識から、

枠組みの外にいる人たちの言葉にならない声を聞き取るために、重要であるといえよう。

・・・

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2014.12.16 Tue l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
吉田修一『怒り』読了。

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上・下巻ありますが、あっという間に読んじゃいました。

吉田修一作品は、『パレード』をはじめ心の闇を描いた作品が好きなのですが、

今回は、ちょっと違うんです、闇の部分じゃないんですよ。

上巻のはじまり、八王子の住宅で夫婦が刺殺される。

殺害現場には、血文字で「怒」という文字が残されていた。

逃走を続ける犯人。

読み始めは、事件そのものが解明されていくものだと思い、

「怒」の意味はなんだ?と思いながら読み進めていくと、

どうやらその方向でないことがわかってくる。

あれ?このはなし、、、と思い読了後ググってみたら、

やっぱりそうか!

実際にあった事件(市橋達也の逃亡生活)がモチーフとなっているんです。

ただ焦点が当てられているのは、犯人の心情やら事件そのものではなく、目撃情報の通報者のほう。

市橋の逃亡中、実はたくさんの目撃情報が寄せられていたそうで、

吉田さんは、通報者側に興味を持たれたのらしい。

「街で似た人を見かけたという程度のものではなく、

身近な人間に対して疑念が生まれていく事件の遠景に胸騒ぎを覚えた」
とインタビュー記事にありました。


読みながら思い出したことを。

内容からは少し逸れるんですが、

斑尾でバイトをしていたときのこと。

ほんの数日間ですが、同じホテルで働いていた人が、数ヶ月後、殺人で逮捕されるという出来事があったんです。

その人は、レストランで働いていたのですが、

いつもレストランに入るバイトと揉めている、正直、ちょっと不気味なひとでした。

ある日、レストランに入るバイトが誰もおらず、

売店担当だった私に、おはちがまわってきました。

まぁ別にふつーの人やん、と思い、レストランの仕事を教わっていたのですが、

いきなり怒られ(切れられ)さすがの私も、「なに?このひと?」と思ったことを覚えています。

私が怒られた理由で一番覚えているのは、お料理を順番通りに出さなかったこと。

レストランで出していたお料理は、簡単なコース料理。

ホテルとはいえペンションに近いものだったし、

堅苦しいお料理では全然ない。

お客様は、お子様連れもたくさんいらして、コース料理だけれど、

待ってられへんから全部持ってきてー!と言われる方もいて、

お客様の要望通りに、料理を通したことで怒られたんです。

その人は、以前フランス料理店で働いていたことがあるとかなんとかで。

フォークとナイフの並べ方をよく知らない私を非難し、

そして、あくまでもフランス料理店のマニュアルで接客しようとするんですね。

スキー場のレストランにそんなものを求めるお客さんなんておらず、

従業員だけでなくお客さんとも揉めていたこともあったようでした。

今から考えると、アスペだったのかも? なんて思うのですが。

その人は、殺人事件の容疑者で、スキー場のホテルやペンションを転々としていたらしいのです。

逮捕されたときは別のホテルだったのですが、電話でそのことを聞き、ぞっとしたことを思い出します。

その人とは、到底仲良くなれそうもありませんでしたが、

もし、もっと親しみやすい人だったら?

友達になっていたりなんかしたら?

と想像すると、

なんだかちょっと得体の知れない怖さを感じたのでした。


ただ、吉田修一さんにお願い。

私は、犯人の『怒り』が知りたいです。

血文字で、『怒』 と書かなければいられなかった犯人の気持ち、そっちも描いて下さい‼︎

よろしくお願い致します。笑
2014.12.03 Wed l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
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