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映画 『最後の命』 観てきました。

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中村文則さんの『最後の命』が、映画化されると知り、

これはもうなんとしても観に行かなくてわっ!と思っていたんです。

すると数日前、FMラジオを聴いていたら、たまたま中村さんがゲスト出演されていたんですよ。(映画の宣伝でね)

そこではじめて声を聴いてびっくりしました。(これまで写真でしか見たことがなかったので)

だって、こんなにハキハキしゃべる方とは思わなかったんですもん。笑

それから映画を観て、

私が勝手に作っていた中村文則さんのイメージが、柳楽優弥さん演ずる桂人くんそのものやと気がついたんです。

それくらい私のイメージ通りだったこの映画。

心に深い闇を抱えた愛おしくてたまらない三人。

桂人、冴木、香里

”本当に君は冴木だった”と中村さんが絶賛されたそうなんですが、

本当にこわいくらい冴木でした。

そして、桂人の目は、今も焼き付いて離れません。

『誰も知らない』を思い出す演技だった、っていうか、柳楽優弥さんは、演技だとは思えないんですよ。

お芝居ではない何かを感じさせるんです。

そして、エンディングを流れる曲は、なんと!Cocco。

この映画にCoccoあり。

なにもかもが私のイメージ通り。

とにかく、私の中の中村文則の世界がそのまんま映像化されていました。

中村文則ファンの方、必見ですぞ。
2014.11.20 Thu l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
毒親

「ゲシュタルトの祈り」

私は私のために生き
あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するために
この世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するために
この世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのなら
それは素晴らしいこと。
出会えなくても、
それもまた素晴らしいこと

この本の冒頭に書かれている「ゲシュタルトの祈り」は、

「ゲシュタルト療法」の創始者パールズの詩です。

「私は私、あなたはあなた」というお互いの人間性を尊重することの大切さを説いたこの詩は、

たぶん心理学を学んだ人なら目にしたことがあるであろう詩。

私がはじめてこの詩に出会ったとき、

正直、ピンとくるものが無く、

「私は私あなたはあなた」というのは、私にとってはごく当たり前のことで、

この詩の何が心に響くのか?読んでホッとする?という意味がわかりませんでした。


著者は、ご自身が、サイコパス気質の実母との壮絶な親子関係に苦しみ、

最終的に裁判を経て絶縁。母親との闘いを終え、やっと親の奴隷から解放され、

ようやく自分の人生を取り戻すことができた、という方。

この「ゲシュタルトの祈り」を、親との決別を終えてからずっと心に刻んでおられるのだそうです。


・・・
「私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる」
この言葉は、それまで無意識のうちに親のために生きてきた私に、
自分の人生を生きることの大切さを理解させてくれました。


「私は私の期待に応えた行動するためにこの世に在るのではない。」
この言葉は、私が親から人生を取り戻す意味を教えてくれました。

「そしてあなたも、私の期待に応えて行動するのではない。」
この言葉は、私の中にある親に対する依存心を自覚させてくれました。

「もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと」
この言葉は、親が与えてくれた試練より、
かけがえのない家族・先生・友人と巡り合えたことに気づかせてくれました。


「出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。」
この言葉により、私はようやく親の呪縛から解放されたことを悟ることができました。
・・・


これを読んで、なるほどなぁ~と正直驚きました。

私が当たり前に感じていたことを、当たり前に感じられない人がいるんだ、と。


「親を許す」とか、「親に認めてもらう」とか。

そういった一切のこと、親に対する期待や罪悪感などから解放されなければならない。

そのためのメソッドがこの本には書かれています。

親との確執に苦しんでいる人は、同じような体験談を読んでいるだけでは解決にはならない。

心の問題の根本的原因の9割は親にある。と言い切る著者。

「誤解しないでいただきたいのですが、私は親子の争いを推奨しているわけではありません。

ただ自身の尊厳を踏みにじられてまで耐え忍ぶ必要はないと言っているだけです。

「親を許すことですべてが解決する」と声高に叫ぶ人たちもいますが、

親を許すことで本当に何もかも解決する根拠が、いったいどこにあるというのでしょうか。

親を許す許すかどうかの選択は最後の最後でいい。人生においては、親から受けた傷にあなた自身がどのような対処をするかの方である。」

最後に、このように書いておられますが、

正直、内容は過激です。

この本を、先の私の旧友に薦めるか?というと、私からはオススメしません。

これは、誰かからの薦めで読むようなものではなく、

苦しんだ人が、自分でたどり着く本のような気がするから。

この本全体には、まだまだ著者の強い思いが漂っていて、

こうやって私は苦しみから脱出しました。だから、苦しんでいるあなたも同じように脱出しましょう。というような、、、

もちろん毒親に苦しんでいる人には、救いになるであろう一冊であることは理解できるんだけど、

うーん、なんか上手く言えないけれど、

これだけが全てじゃない、って感じられる方もいるんじゃなかなぁ~。というのが正直な感想です。

苦しみとか痛みとかって、やはり同じような経験をした人の言葉が一番届くものだということは、

私自身もよく知っています。

だから、この書が本当に苦しんでいる人、必要としている人に届くことを願います。
2014.11.17 Mon l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
最近、じわじわと浸透しつつある「毒親」という言葉。

ご存知でしょうか。

『母という病』 という本を読んだとき、「病かぁ~こわいなぁ」と思いましたが、

更に恐ろしい…『毒』です。

まず、毒親というネーミングは、

米国のカウンセラー、スーザン・フォワードさんの著書『毒になる親』(2002年)から生まれた言葉らしい。

定義は、「子どもの人格に悪影響を及ぼす親」。



新聞紙上をにぎわすような命にかかわる虐待事件は、わかりやすい毒親ですが、

最近注目されてきているのは、わかりにくい毒親。

モラル・ハラスメントだったり、過干渉など、精神的に支配する親のこと。

何かしら生きづらさを抱えているのだけれど、

その原因が、親によって刷り込まれた思考にあることに気づいていない場合もある。

小島慶子さんや遠野なぎこさんや杉本彩さんなど、

芸能人のカミングアウトも増えてきていますよね。



私が「毒親」というものに興味を持つのは、これまで何度もブログに書いてきたように、

子育ての連鎖に興味がある、という部分と、もう一つ大きな理由があります。

それは、旧友の告白です。

・・・

一年少し前のこと。

たまたま旧友と、もう一人同じ学校だった友人(Aとします)と三人で会う機会がありました。

実は、その組み合わせで会うというのはあり得ないはずのことで、

いろんな偶然が重なった不思議な女子会でした。

近況を話し合ううちに、Aが、カウンセリングを受けていたことを話し始めました。

カウンセリングを受けて分かったことは、

何をやっても自分を認めてくれない母親に、認めてもらおうと必死になっていたんだ、ということ。

ある出来事で、はじめて「母親に認めてもらう」という経験をし、

やっとそれですっきりできた。解放された気持ちになった、ということを語ってくれたのです。

すると、ずっと黙って聞いていた旧友が、

「私も言ってもいい?」と申し訳なさそうに言うので、

なんだろう?と、彼女に目を向けると、

「今まで誰にも言えなかったんだけど、言ってもいい?」

とさらに確認をし、

「私、母親のことが嫌いやねん。」

「でも、それってすごくダメなことやと分かってるから、母親を嫌いと思う自分が嫌いやねん。許せないねん。」

と、とても苦しそうに吐き出したのです。

驚きました。

旧友がそんなことを思っていたなんて、全く感じたことがなかったし、

「母親が嫌い」という気持ちに、物凄い罪悪感を持っている、ということが衝撃でした。

しかも、久しぶりに会った学生時代の友人二人が同じように告白するのですよ。

そこから二人、出るわ出るわ!幼少時代の体験談。

なぜ自分が叩かれるのか?理由もわからず、母親に叩かれたことが何度もあったわ。 あったあった!と二人。

「あなたはそんな経験ないでしょ?」と二人から言われ、

そんな経験も記憶もない私は、

「え?理由もなく叩かれるの?なんで?」と、理解不能。

その女子会をきっかけに、

旧友は、これまでずっと胸の奥にしまっていた母親への感情を吐き出すようになったのです。

言葉にすることさえ抵抗を感じるという彼女から、時には涙しながら、たくさんたくさん話を聴きました。

話しても話しても足りないんですよ。

だって、何十年も抑圧してきたから。

彼女の告白を聞いて、

学生時代からの、彼女の自信のなさとか、明るくしているのに陰のイメージがあるところやマイナス思考なところは、

母親に振り回されるがゆえに、自分の身を守ろうと出来上がったものだったんだと感じたのです。

たぶんこの告白がなかったら、

私は「毒親」を理解することは難しかったと思うのです。

だから話してくれた彼女に感謝しています。

そしてあの女子会は、偶然じゃなくて必然やったんやなぁと、不思議に感じるのです。

・・・

彼女にオススメしたのが、この本。

母を棄ててもいいですか

『母を棄ててもいいですか? 支配する母親、縛られる娘』/熊谷早智子

著者は、夫からのモラル・ハラスメントで離婚を経験し、その際精神科の門をたたいたことから、

母からモラハラを受けていたんだと知る。

「モラル・ハラスメント被害者同盟」というサイトを立ち上げ、

このサイトを通して出会った母親からの支配に苦しむ女性たちの声を形にされたのがこの本。

7人の事例が紹介されています。

考えてみれば、世の中に親を擁護する言葉はあっても、子どもの気持ちを汲み取ってくれる言葉は、意外と少ない。

子どもを愛さない親はいない、とよく言われるけれど、本当にそうなのだろうか?

その愛は、無償の愛なのだろうか?と最近思う。


著者の熊谷さんは、

生まれてからずっと母に愛してもらうことができなかった娘たちが、うつむくことなく「母を棄ててもいいですか?」と真っ直ぐな眼差しで言える世の中が来ることを、心から待ち望んでいます。

と結んでおられます。


更に、最近見つけた本は、

『毒親からの完全解放』 本当の自分を取り戻して幸せになる7つのステップ

なんと、毒親専門カウンセラーなる人が存在しているのです。

その感想を書くつもりだったのですが、長くなってしまったので次回にしますね。(^-^;
2014.11.14 Fri l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
注文の多い料理店、じゃなくて注文書。



なにこれ!うわぁ~面白いっ!!

ちょっと変わった一冊です。本好きにはたまらないかも。


まず、小川洋子さんが、マニアックな短編小説を元に、「注文書」を書きます。

例えば、「貧乏な叔母さんを探してください」と。

なぜ探してほしいかということを、これまたマニアックに切々と語ります。

そして、クラフト・エヴィング商會さんがそれに応えます。

「納品書」これがまた上手いんです。

受け取った納品書に、小川さんが「受領書」を書く、というやり取り。

取り上げられている小説は以下の5つ。

Case 1: <人体欠視症治療薬> 川端康成の未完作「たんぽぽ」より

Case 2: <バナナフィッシュの耳石> サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」より

Case 3: <貧乏な叔母さん> 村上春樹の「貧乏な叔母さんの話」より

Case 4: < 肺に咲く睡蓮> ボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」より

Case 5: <冥土の落丁> 内田百間の「冥土」より


私が読んだことのある小説は、2と3のみだったのですが、

読んだことない小説でも内容がなんとなくわかるようになっていて、実にうまく出来ています。

いや、でも、小説を知っている方が間違いなく楽しいはずなので…。

1 4 5 もさっそく読もうと図書館へ。笑


何が凄いかって、やはり小川洋子さんの想像力です。

一つの小説からこんな広がりが生まれるなんて。さすがです。

で、私もちょっと「注文書」を書きたくなったり。笑

私がお願いしたいのは、安部公房の「賭」です。

あの建築家に我が家の設計図をお願いしたいです。

一階のリビングと二階の子供部屋は、隣同士に。

そして、キッチンからは全室が必ず見渡せるように。

お願いできないでしょうか?クラフト・エヴィング商會さま。


私信: Tせんせい、おススメです(^^♪
2014.10.30 Thu l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』



三部作読了。

第三の嘘

双子が別れるところで『悪童日記』
が終わり、
えーっ!となって、その続きが読めるものだと思い『ふたりの証拠』を手に取ると、

肩透かしを食らう。

悪童日記を読んでいるときから、実は双子は、双子ではなくて、一人ではないのか?との疑問が浮かんでいて。

的中かと思いきや、『ふたりの証拠』で二人の名が明かされる。リュカとクラウス。

時系列はバラバラ。虚構なのか現実なのか?日記はすべて嘘なのか?リュカとクラウスは同一人物なのか?

頭の中のこんがらがり方がはんぱない。笑

だからこそ余計にその先が、何が本当なのかが知りたくて、『第三の嘘』を手に取る。

いったい何が?どれが?現実なのだろう?


人は、耐えられない現実に直面したとき、現実逃避をする。

別の人格を作り出したり、物語を作ったりしてそこへ逃げ込む。

でもこの小説は、解離性同一障害の話ではない。


第三の嘘で明かされる現実。

強烈な孤独と執着。

愛を求めて求めて、それが得られないことはこんなにも孤独なのか。

「列車、いい考えだな。」 で終わる衝撃のラスト。

こんな結末、悲しすぎる。

絶望的なのに、どこかホッとしている自分がいて…。

ふと思い出したのが、中村文則さんがどこかで書いてた言葉。

「絶望的なものを把握しようとすることは、 それだけで希望に繋がる…。」

納得。




2014.10.23 Thu l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
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