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精神科医であり、長年、医療少年院に勤務された岡田先生の一冊。

『母という病』 なんとも衝撃的なタイトル。


この本を読みながら、

友人から言われた言葉を思い出した。

それは、

「なぜいつも“なんとかなる”って思えるの? 」

また、同じように障がいを持つ子どものお母さんからは、

「ゆうちゃんの力を信じるっていうけど、どうしてそう信じることができるの?私は、不安でしょうがない。」と。

これは、私にもよくわからなかった。

逆に、なぜ子どもの持つ力を信じられないの?と、いつも思っていた。

私だって、どうすれば良いのかわからなくなり、迷ったり落ち込んだり悩んだりすることだってある。

でも、最終的にはいつも「なんとかなる」に落ち着く。

誰に何を言われようとも、ゆうちゃんの持つ力を信じよう。なんとかなるさ!という漠然と根拠のない自信だけは、いつも持っていた。笑

まわりに、医師や教師の言葉に振り回されて、落ち込んだり不安になっている人がいたら、
母親が信じてやらないでどうすんのよ。もっと自信持ちや!!と励ましたりもしていた。


なぜ、そんな風に未来を信じられるのか?

その疑問に、この書は答えてくれている。


・・・・・

まったく親に依存するしかなかった幼い頃、

あなたがどんなふうに扱われたかをもっとも表しているのが、

あなたに備わった基本的安心感だ。

基本的安心感とは、世界や自分といったものを無条件に信じることができることだ。

基本的安心感がしっかり備わっている人は、何が起ころうとどうにかなると、

未来を信じることができる。

誰かが助けてくれると、楽観していられる。

基本的安心感が乏しいと、いつも心配ばかりするだけでなく、

自分がここにいるという当たり前のことにさえ、不確かな感覚をもってしまう。

基本的安心感は、ゼロ歳から一、二歳までの間の、まったく記憶にも残らない体験によって形づくられる。


・・・・・


そうなのか。

私には、この基本的安心感があるのだ。

そういえば、昔からどんなことが起ころうとも、いつも「なんとかなるさ」と思ってきた。

このブログのタイトルだってケセラセラ~!だしね。 笑

この今の私の安心感が、たった二歳までに作られているのだ、と言われると、

それはもう自分ではどうしようもないことで、なぜ信じれるのか?と問われても、
信じられるのだからしょうがない。

与えてもらったから与えられる。

これがプラスの連鎖ならマイナス連鎖が虐待となる。

これまでにも何度か書いてきているけれど、

子育てに悩むお母さんたちと話をしていると、

必ず行きつくところが、自分がどう育てられたか?というところになる。

そこを通らずして先へ進めないことを、何度も見てきているので、

私は個人的にとても興味があるのです。

だから、こんな本ばかり手に取るんだろうな、と自己分析しているんですが、

前にに書いた「反省させると犯罪者になります」にも、

“結局どんな「問題行動」も、根っこの部分を探ってゆけば、育ってきた環境にたどり着く。”

と書かれてある。

「無償の愛」のなかで育った子どもは「ありのままの自分」でいいと自分自身を受け入れることができ、

「条件付きの愛」で育った子どもは、条件に応えられないときの自分を「ダメな人間」と思ってしまう。

問題行動の原点は、「条件付き愛」のなかで子どもが育ってきたことにあると。


「三つ子の魂百まで」と言われるけれど、

三つどころか、一つの魂百までといっても差し支えない、と、岡田先生はおっしゃられるのです。

・・・・・

じゃあ、与えてもらえなかった人は、どうすれば良いのか?ということが、この本に書かれてあるのです。

今、なにかしら生きづらさを抱えている人、

もしかして、そこに潜んでいるのは、母という病かもしれない。

まずは気づくことが第一歩だと。

また、物事のメリットとデメリットは大抵背中合わせの関係にあるように、

母という病を抱えることは決してマイナス面だけではない、とも。

苦しさや困難を抱えるがゆえに、磨かれ花開く力もあるのだと。

ジョンレノン、ヘッセ、宮崎駿、曽野綾子 などなど、

母という病が、創造的な力となった人たちのエピソードも登場する。

そして、これ、とても大事だと思うのですが、

母の力だけでは、どうにもならない事だってある。
社会にも責任がある、と。


・・・・・


いま親子関係、ことに母親との関係に悩み、苦しんでいる人たちが増えている。

その端的な表れは、虐待の増加である。

児童相談所が対応するケースの数は、この二十年で四十倍に増加。

しかし、それは大きな山の頂にすぎない。

その裾野では、虐待という自覚もなく、精神的虐待や心理的な支配が日常的に起きている。

境界性パーソナリティ障害や摂食障害、うつや不安障害、

さまざまな依存症に苦しむ人が増加しているが、それらの障害の根底にも、

母親との不安定な愛着が、しばしばかかわっている。

問題の根が深いケースほど、母親との関係がからんでいる。

近年の虐待の増加の背景には、

核家族化やシングルマザーの増加、貧弱な社会的サポートなど、

子育て中で母親にかかるストレスが増大しやすい社会環境にもさることながら、

愛情やかかわり不足の中で育ち、愛着システムが未発達な人が増えていることが影響していると考えられる。

もとをたどれば、その若い母親も、母親から愛されなかったのだ。


もちろん、母親の力だけではどうにもならない部分も大きい。

社会が優しさや余裕を失って、自分を守ることに汲々となり、

融通のきかないルールで杓子定規な対応をしたり、多数派の都合ばかりを優先したり。

不安定で立場の弱いものは、ますます居場所を失っていく。

母親だけに原因があるのではなく、母親や子どもを守れない社会にも、原因があるということだ。

・・・・・


著者が書かれているように、

私もこれらの問題は、愛着システムだけではなく、社会にも多いに問題があると思う。


例えば、「母であるまえに一人の女性でありたい」みたいな風潮なんかもそうじゃないだろうか。

また、最近私が危惧しているのは、

おっぱいをあげながら、携帯をいじっている母親の姿。

これって、すごく恐ろしいことだと思う。

おっぱいをあげる、という行為は、それこそ愛着形成そのもの。

本来なら、愛おしくてたまらないその時間が、

意識半分、心ここにあらずでは、愛着形成を揺るがすことになるのではないか?

そして本当に怖いのは、それに抗えないところ。

私は、ゆうちゃんの幼少期には、まだ携帯というものを持っていなかった。

パソコンも無かったし、24時間誰かと連絡を取る必要もなかった。

でも今は違う。

24時間なにかにだれかにアクセスできるのが当たり前になってしまったから。

私は、あの時代に携帯やパソコンがなくて本当に良かったと思う。

もし、おっぱいをあげている最中に携帯が鳴っても無視出来ただろうか?と思うから。


娘として、母として、いろんなことを考えさせてくれる一冊だった。

もし今、ネガティブな感情に支配されていたり、対人関係に悩んでだりしている人には一読をオススメです。
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2014.02.18 Tue l 本・アート・音楽・映画 l COM(2) TB(0) l top ▲

コメント

反省の弁
豆で~す。
自宅のパソコンが壊れてしまい、新たにつないだマックにまだ慣れておりません。
さt私、若いころ、自分ではすごく注意深く神経質なつもりでしたが(今となっては笑)、自分を見つめられるようになって思い起こすと、どこから見てものんきで、詰めと脇が甘く、行き当たりばったりで、周囲の人に恵まれてここまでやってきました。
これも母親をはじめ、0~2歳までに周囲の大人が守ってくれたおかげなのだと、ホントにホントにそう思います。
息子にしっかり向き合わねばバチがあたる…とこのブログを読んで反省しました。
2014.02.19 Wed l 豆. URL l 編集
豆ちゃん
私もさぁ、もうひたすら感謝やなぁと思いました。
大切なものを与えてもらってたんやなぁと。
あとさ、この本これから出産って人に読んでもらいたいと思った。
二歳までがどれほど大事か!
長い人生のたったの二年が、一生涯に影響するんやで、って知ってほしいなって。

マックええな〜!
2014.02.19 Wed l keropaki. URL l 編集

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