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拉致被害者 蓮池さんの著書です。

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飛行機のタラップから降りてこられる蓮池さんの姿、今でも覚えています。

わけも分からず拉致され、自由を奪われ過ごした24年間。

その理不尽さや苦難は、著書を読むまでもなく想像でき、興味本位で読んではいけないような…

知りたいような、知りたくないような、そんな気持ちでいました。

読み終えた『拉致と決断』は、

もし自分がこの境遇に置かれたら?と、想像すると、自分の行動が想像すらできない、と思いました。


極限状態の中、強靭な精神力と知恵と冷静さで生き抜いてこられた蓮池さん。

いや、きっと冷静なんかじゃなかったんだとは思うのです。

でも、どのように行動し発言することが、自分が置かれている立場として一番良いか?を、

必死に考え常に行動されてこられたことが、ひしひしと伝わってきました。



読みながら思い出したのは、『夜と霧』のヴィクトール・フランクル。

ナチス強制収容所の体験をつづった著書で、

精神科医だったフランクルは、冷静な視点で収容所での出来事を記録するとともに、

過酷な環境の中、囚人たちが何に絶望したか、何に希望を見い出したかを克明に記した一冊。

『夜と霧』を読んだ時に感じたものと少し共通するものを感じました。


例えば、過酷な状況において心を救ってくれたのは、「遊び」だったこと。


  子どもの頃は、何の道具がなくても、また遊び相手がいなくても、

  一人で「遊び」を創って楽しんでいたものだ。

  それと同様、招待所生活でも、私は自分で遊びを創って遊んだ。


蓮池さんは、一本の枝が、ゴルフのクラブにちょうどいいと思い、

のこぎりで枝を切り落とし、クラブを作り、ゴルフボールを作り、

自分でルールを決めて、たった一人でゴルフを楽しんだのだ。



  閉ざされた招待状で一生を終えるかもしれないと思っていた人生だから、

  それを、瞬間ながら、忘れさせてくれる遊びが楽しく、生きる力となった。



確か、フランクルも同じようなことを書いていたと思う。

「ユーモア」と「好奇心」

そして、「自然の美しさを感じる心」 が

心を自己防衛して、精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道だったと。


ただ、北朝鮮での蓮池さんの暮らしは、一時も気を抜くことができない生活だった。

思いのままを言ったり書いたりしたら、身に危険が及ぶ、そして、子どもたちの将来にも直結する。

招待所では、毎日、日記を書くことを課されていたそうなのですが、

決して本音は書けない。しかし、毎日同じような内容だと、指導員から不満を言われる。

また、人間の心理を巧みに読む人間が少なくなく、

心を開かせようとする人には、ことさら警戒心が必要だったという。

「思想監視のなかで生活する」ということが一体どんなものなのか、想像すらできませんでした。


あとがきに、

  北朝鮮での拉致被害者の生活や思いを多くの人に伝えることによって、

  拉致問題解決への関心を高めたい。

  それは、当然この本を書いたもっとも大きな目的の一つである。

  現在、北朝鮮に残された拉致被害者の精神的苦痛は、極限に達しているはずだ。

と書かかれています。

蓮池さんも拉致された当初は、早く日本に帰せと求めていたが、

状況を受け入れるうちに、そして、結婚して子どもができると、

いつか日本に帰れるという可能性の見えない将来を前提に子どもを育てるわけにはいかないと、

自分に思い込ませるようになっていった、という。

「口に出すのはもちろん、心のなかからも帰国願望を消し去ろうと努力したのだ」と。


  現在、北朝鮮に残されている拉致被害者の思いを考えると、

  最初は、自分と同じ思いで暮らしていた人も、

  日本に帰国し自由な生活を送っている人がいる、という事実を知ったなら、

  覚悟は一瞬にして崩れ去ってしまうだろう。

  その切ない思いは、

  ある意味割り切って生きてきた私たちの思いを超えるものがあるはずだ、

とおっしゃられています。



ちょうど、今朝の新聞を読んでいると、

有本恵子さんの父であり拉致被害者家族会副代表の言葉が載っていました。


「拉致問題が解決できないのは、わが国の争いを好まない憲法のせいであると悟ることができました。」

「憲法改正を実現し、独立国家としての種々さまざまな法制を整えなければ、

 北朝鮮のような無法国家と対決できません。」


うーーん…。

選挙前に、こういうのを取り上げること自体、意図的だと感じますが。

もし、自分の子どもが拉致されたら、と考えると、

私も有本さんのお父さんと同じことを思うのかもしれない。

どんなことをしてでも、わが子を絶対に取り戻す!と、思うはずだから。


でも、ほんとうにそれでいいのかな?

少なくとも、蓮池さんは、それを望んでおられるとは思えなかった。

もちろん、

 「拉致問題解決を推進すべき日本政府の人たちは、拉致被害者たちの思いを、

  果たしてどれだけ感じてくれているのだろうか。

  そんな疑問を抱かずにいられない現状がなんとも腹立たしい限りだ。」

と、書いておられる。


でも、誰よりも「戦争」というものを身近に感じてこられた蓮池さんが、

日本を戦争へと向かわせてしまう道を望まれるとは思えない。

戦争が一歩一歩近づいていることを肌で感じた蓮池さんは、


  一体、戦争が起きたらどうなるのだろう。

  親元を離れている子どもたちはどうななり、戦火のなか、あるいは戦争が終わってからでも、

  親子はふたたび会えるのだろうか。

  戦争恐怖症にかかったように、私は不安でいっぱいになった。


もし戦争が起こって離れ離れになってしまったら、と、具体的に、

子どもたちとの再会の方法まで考えられた蓮池さんだから、

きっと、戦争ができる国へとむかっていくことを、望んではおられないのではないかな、と思いました。


『拉致と決断』

自らの生活を振り返って、反省させられること多し。

北朝鮮という国を知るためにも、ぜひオススメの一冊です。
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2013.07.19 Fri l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲

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