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東大出身、「反貧困ネットワーク」を立ち上げた湯浅誠さんの著書。

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これは、ぜひ今読んでおいたほうが良いよ、とオススメされていたので手にとってみました。

「民主主義について書かれた本」といわれると、

なんとなく難しそうで面倒くさそう…な気がするのですが、

湯浅さんの文章は、分かりやすくてとても読みやすい。

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく…

と、おっしゃっていたのは、確か井上ひさしさんだったと思うのですが、

まさに、湯浅さんの文章はそんな感じ。

そして、自ら経験されてこられた方の言葉には、説得力がある。


例えば「既得権益」について。ご自身のことに触れこんな風にかかれています。


湯浅さんの三歳年上のお兄さんは、身体障害者である。

お兄さんは、高校を出られてから社会福祉法人で働いておられる。

その事業所は、健常者と障害者が半数ずつ働いているところで、運営のために税金が投入されている。

お兄さんは筋萎縮性の障害をもっておられるので、

生産性としては、障害のない「ふつう」の人たちの十分の一くらい。

他方、身体障害者手帳の一級を持っておられるので年金を受け取っておられる。金額にすると毎月8万円を越える。

そこにも人々の税金が投入されている。


世の中には、お兄さんの十倍以上の生産性を持ちながら、お兄さんとたいして変わらない収入しか得られず、

その中から税金を支払っている人がいます。

その人には、お兄さんが享受している職場や年金は「既得権益」と映るかもしれない。

現在、「生活保護」が「既得権益」と呼ばれていることが、まさにそうであり、

数年前まで、生活保護受給者が国会で既得権益だといわれることなんて考えられませんでした。

ならば、障害者の受給が既得権益だと呼ばれることだって、荒唐無稽だとは言えないのではないか。

仮に、そのように考える人が増え、お兄さんから雇用先や障害者年金が奪われたとします。

その決断をした政治家に対して

「強い抵抗にあいながらも既得権益に切り込んだ」と喝采を浴びせる人はいるでしょう。

しかし、それがどのような結果をもたらすかは、もう少し先まで考えてみる必要がある。と著者はいう。

社会参加を奪われたお兄さんは、家にいる時間が増え、生活の張り合いを失い、確実に心身の状態は悪くなる。

その影響はお兄さん一人に留まらず、同居している母親、そして弟である自分にも降りかかる。

二人の活動は相当制限されることとなり、実にさまざまな消費活動が奪われることとなる。


もし、このお兄さんの生活をピンセットでつまみあげるように取り出し、

お兄さん個人の生産性(プラス)と雇用先への補助金や障害者年金のコスト(マイナス)を比べた場合、

たしかにそれはマイナスになるかもしれない。

だから、本来お兄さんが値するものよりも、より多くを享受しているという意味で「既得権益」だとされ、

それを剥奪することが「正義」だとされたら。

直接お兄さんに対してそういう評価する人がいなかったとしても、

障害年金を不正に受給している人たちの報道が相次いで

「そんなことを放置しておいてよいのか、もらいすぎじゃないのか、自分はもっと苦しいぞ」

という世論が高まれば、

お兄さんの生活実態が丁寧に省みらることはなくなってしまう。

しかし、当たり前だけれど、お兄さんをその生活の現場からピンセットでつまみあげることは、

空想のなかでしかできない。

現実は、家族関係の中、地域の諸関係の中で生きているわけですから、

お兄さんから社会参加の機会を奪うことは、必ず家族や地域の人たち、ひいては社会全体に影響を及ぼさざる得ない。

したがって、お兄さんだけを取り出して収支のつじつまを合わせたつもりになっても、

現実の収支は、家族、またそれを介した人々の諸活動全体の収支と深く結びついている。

結果として、惜しんで削った分の何十倍か何百倍かの活力と富を社会は失うこととなる。


社会全体に停滞感や閉塞感が広がり、仕事や生活に追われて余裕のない人が増えると、

「自分はこんなにがんばっているのに楽にならない」という不満から、

「自分は不当に損をしている」と感じる人が増えると、

「既得権益」を暴き出そうとする「犯人探し」の勢いが強くなる。

同じモノを見るのに、その“善”の側面よりも、“悪”の側面に着目するようになってしまいます。

そして、そこに切り込む「切り込み隊長」が待ち望まれるようになる。

「強いリーダーシップ」待望論とは、そういうもの。悪人vsヒーローという構図。

この悪人探し&ヒーロー探しが、近年の日本の「民意」の動向を特徴づけている、と。

ただし、

どんな政策でも、それに賛成する人反対する人は必ず出てくる。

政策は基本的に全員を巻き込むもので、巻き込まれる一人ひとりに

「必死の生活とそこから出てくるニーズ」がある以上、それは自然なこと。

そのときヒーローは、どう振舞うか。

自分が進めたい事柄については、反対する人達を「既得権益のために反対しているだけ」だといい、

反対意見を無視し、即断即決で物事を進めていく。

自分が進めたくない事柄については、賛成する人たちを「既得権益の為に賛成しているだけ」だといい、

賛成意見を無視し、即断即決でやめてしまいます。

それは、「既得権益に屈しない」と表現されるものの、同時に、

「一人ひとりの必死の生活とそこから出てくるニーズ」が切り捨てられる、という面も持っています。

ヒーロー待望論は、後者の側面を見えにくくする。


  誰のことを言っているのかは明確ですよね。


世の中は活性化したほうがいいし、豊かな社会に暮らしたい。

誰もがそう思っているし、それに反対する人はいないと思う。

問題は処方箋であり、

異なる意見を闘わせ、意見交換や議論をする中で、お互いの意見を調整することが必要となる。

ただ、これは、家族間であっても難しいわけですから、

見ず知らずの他人で構成されている社会で、意見調整が不可欠なことは、あたりまえすぎるほどあたりまえ。

国家レベルだとこれが「外交」となるわけです。

ただし、それは大変面倒なことでもある。

あるテーマに強い執着を持っている人ほど、

「自分はわかっている」と強い自信をもっているだけに、

異なる意見を落ち着いて聞くことができない、すぐに否定したがる。

夫婦や親子でさえこの面倒くささに耐えられず、分裂する人がたくさんいる。

しかし、それでも、誰かに任せるのではなく、自分たちで引き受けて、それを調整して合意形成していこう

ということが民主主義というシステム。

したがって民主主義というものは、まず何よりも、おそろしく面倒くさくて、

うんざりするシステムだということを、みんなが認識する必要があるのです。


読みながら、考えさせられることが他にもたくさんあります。

例えば、マイナーという分野について。

それは、量として少数派であると同時に、イメージとして少数派であるという両方の意味を持っている、ということ。

イメージとしての少数派というのは、量としては徐々に少数派から脱しつつあるのに、

実態以上に少数派とイメージされやすい。

確かにイメージを変えるのって、なかなか難しい。


また、自分のいる現場が狭い世界にいることを自覚しなくちゃいけない。

狭い世界で濃い密度で接しているから、仲間内では前提とされるものがどんどんと増えていき、

言わなくてもわかる雰囲気ができてしまう。

ところが、外の人たちには、その当たり前と思っていた前提が全然通じない場合がある。

狭い世界の仲間でたくさんのことを前提として共有した頭で外へ働きかけても、

なかなか外の人に通じる言葉が見つからず、空回りしてしまう。

その場合、「外の世界は無理解だ。ひどい。」となるのだけど、

原因はこちら側にあることも少なくない。

自分たちが前提としているものを共有していない人たちと話し合うための言葉が見つけられない、という問題。


確かに、世の中の九割の人が反対していることを、やるべきだと訴えたところで、

それが一割しかいなければ、一割の側につく政治家はほとんどいなくて、当然九割側をとる。

それに文句をいったところで、一対九の構図を変えられなかったら、政治は九をとり続けるということ。

それを、二対八に、三対七に、四対六にと変えていくのが、主権者たる私たち、

主権者として譲れない意見を持っている私たちのやるべきことである。


外の世界と話が通じない、というのは、さまざまな現場でよくあることではないでしょうか。


ちょうど、この本を読み終えたあたりで、タイミングよくこのブックレットが届きました。

「いのちの権利はゆずれない」

 障害者自立支援法に異議あり!

 応益負担に反対する実行委員会

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京都から発信されている「障害者自立支援法に異議あり!応益負担に反対する実行委員会」。

このブックレットは、

「骨格提言・権利条約にもとづく障害者総合福祉を」と題されていて、

障害者福祉政策の改革の現状を知ることができます。

「障害者自立支援法は廃止して総合福祉法(仮)をつくる」と国が約束したものの、

「骨格提言」の内容がほとんど反映されず、たんなる名前の付け替えにすぎないこと。

「骨格提言」とはなにか?をもう一度学び直し、

権利条約に批准させ、骨格提言にもとづく法律を実現しよう!というものです。

こうして粘り強く運動していくことの大切さというものが、

湯浅さんの本を読んだあとでは余計に伝わってきました。

私も、もっと学んで活動していかないとあかんなぁ(汗)と、切に感じたのでした。


かなりまとまりのないレビューになっちゃいましたが オススメの一冊です。
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2013.02.07 Thu l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲

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