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『慈悲と天秤』 を読み終えました。

慈悲と天秤

僕には生きる価値などない気がします。
 ただの人殺しですから・・・僕は。

 男性2名に集団で凄惨なリンチを加えた挙げ句、
 生き埋めにして殺害した小林竜司。
 小林との対面・文通を重ねてきた著者が、
 自身の半生を省みながら、死刑摘要基準の曖昧さや、
 真実の贖罪とはなにかについて考察したノンフィクション。

 ポプラ社




副題にあるとおり、この本は、2006年6月に起こった

「東大阪集団暴行殺人事件」の主犯格とされ死刑判決が下された

小林竜司と著者:岡崎正尚さんとの対話。ノンフィクション。

記憶に残っている方もおられると思いますが、まずは少しこの事件のことを。


事件は、生き埋めにされた(F・S)が、交際中だった女性が友人(徳満優多)と、

メールのやり取りをしていたことに腹を立てた事にはじまる。

俺の女に手を出すな的に、殴り合いのケンカがはじまり、

お互いが友人に相談して仲間を集め、暴行事件へと発展していく。

最初は、F・S 側が、徳満とその友人(佐藤勇樹)を拉致し暴行を加え、

暴力団の名前をちらつかせて、「50万円もってこい」と強迫する。

「南港に沈められるんと、生駒に埋められるんと、どっちがええんや」と脅された佐藤は、

幼馴染である(廣畑智規)と(小林竜司)に助けを求める。

小林は、自分たちの手では負える事態ではないと思い、一度は警察に被害届を出すのだが、

廣畑は小林の考えに反対して、被害者達への報復を考えた。

小林も佐藤も最終的にはその計画に同意し、

「金を払う」と(F・S)達を呼び出し拉致、生き埋めにして殺害する。

詳しくは→ウィキペディア


この事件を知った時は、

こんなヤクザの抗争みたいなことが、身近(大阪で)しかも大学生達の間で起こったことにとても衝撃を受けました。

そして、生き埋めにされた二人は、脅した相手に自分が脅したようにされてしまったわけですから、

因果応報といいますか、もちろん一線を超えてしまったことは絶対に許されることではないのですが、

正直、どちらも同じ穴の住人。どっちもどっちやなぁ…と思ったことを覚えています。



この著者:岡崎さんは、現在、法科大学院に通う大学院生。

そして彼は、ADHD・アスペルガー症候群 の診断を高校生の時に受けている。

発達障害のある彼は、その障害の特徴である

「特定の事柄に対する異常なまでのこだわりとコミュニケーションのぎこちなさ」 ゆえの生き難さをお持ちで、

小林との対話をしながら、その内面を正直に切実に語られている。

小学・中学時代は、馬鹿にされたりいじめにあい、登校拒否になったことも。

人付き合いが上手ではなく、これまでの対人関係はろくでもない思い出の方が多い。と、書かれている。



そんな彼が、小林と手紙のやり取りをはじめたのは、ごく私的な関心と同情心からだったという。

少し抜粋してみると、

私は死刑廃止論者でもなければ、何らかの人権団体に参加しているわけでもない。

それにもかかわらず死刑判決を下された人間と文通を始めたのは、ごく私的な関心と同情心からだった。

彼が拘置所で日々どのようなことを考えているのか、事件前と比べてどのように変わったのかに興味があった。

それに、彼に下された判決には、裁判で見せた反省の念や事件の経緯を考えれば、重いのではないかと思った。

だから、減刑の為に少しでも力になれないかと考えた。

彼は一審二審で死刑判決を受けている殺人者であったが、私は文通をすることに躊躇を感じなかった。

犯行の経緯や公判での態度をみれば、仮に出所したとしても、再び人に危害を加えるとは思えなかったからだ。

文通を開始してからは、手紙を送るたびに、上告趣意書を書くにあたってなるべく刑を軽減させるのに役立ちそうな情報を同封した。


彼に死刑になってほしくないという気持ちは、文通を続けるにつれ強まっていった。

他にも何かできることはないかと考え、

彼について書いた本を出版したいと思った。

最初は自分で書くのではなく、誰かプロのジャーナリストに書いてもらえないかと考えていた。

現在の彼の姿をありのままに書いてもらえれば、ただの凶悪犯とは思わずに支援してくれる人も出てくるかもしれない。

まず、出版界に縁のありそうな、私がよく読んでいるブログを書いている人に、

死刑制度や犯罪問題に興味がありそうなジャーナリストを紹介していただけないか、と無理を承知でメールを送ってみた。



それが、この本の第一歩。

そこから幾人かの出会いを経て「慈悲と天秤」が出版されることとなるのです。


なんといいましょうか、、、私は、そのこと自体に強く惹かれました。

それは、映画  イントゥ・ザ・ワイルド  を観たときと同じような、

"人との「縁」というものの不思議さ"を感じずにはいられなかったから。



そして、「死刑になってほしくない」という岡崎さんの小林への強い思いは、

ご自身を見つめ直すことにも繋がっていくのです。


わざわざ証人として出廷してくれる友人がいる小林のことを、

自分がもし同じような立場になったとしたら、情状証人として出廷してくれる友人がいるだろうか?と自問し、

友人との手紙の交流さえも、友人に迷惑をかけないよう気を遣っている小林を見て、

自分にはない、言葉を交わさずとも確かな信頼に結ばれた小林と友人たちの関係、

こうした人間関係を構築できる小林を、少しうらやましくも思う。とさえ書いている。

文通を続けるうちに、二人の信頼関係はどんどんと強くなっていく。


私にとって小林は大切な人間だった。

私の人生の中で、小林ほどお互いに誠意をもって接した人間はいないかもしれない。

交流を続けるうちに、小林の誠意と、思いやりが伝わってきた。

小林が死刑になることは信頼できる相手を失うということであり、これに優る苦痛はない。




読みすすめていくと、小林の生育歴にも触れることになる。

小林は、これまでの人生でいじめや虐待といった被害を受けてきている。

父親から日常的に暴力を振るわれ、ある時は、玄関先に一日中手を縛られて放り出された。

父は母にも暴力を振るっており、母は虐待に耐えかねて、小林を置いて家出したことも。

酷い経済的困窮でもあり、家庭環境が、どれほど劣悪だったかを想像することは出来る。

どこにも逃げ場がない、そんな生活の中で、心配してくれた数少ない友人が、佐藤だった。

大切な友人が理不尽に傷つけられ、しかも暴力団に脅されていると聞かされれば、

強い怒りと危機感を抱いても不思議ではない。

しかし、裁判においてはこれらの事情はほとんど顧みられてはいない。



このようにして、

岡崎さんは、「何とかして小林を助けたい。」その一心でこの本を書き上げられるのです。


無期懲役が求刑された事件や死刑が求刑されて無期懲役になった事件との比較や、

(これについては、
 小林の事件より悪質な事案でも、無期懲役になった被告人が幾人も存在している)


そのほか、「未決囚の請願作業」についてや、「恩赦」について。

(「未決囚は作業をしてはならない」という法律はなく、請願作業できるのだか、
  現在の状況は、受刑者ですら「作業待ち」で、作業自体がないのだそう。)

(「恩赦」というのは、日本ではほとんど耳にしませんよね? 
  "24"では、しょっちゅう出てきますが!


「被害者家族」と「加害者家族」

加害者家族支援団体NPOワールドオープンハート)について。


など、様々なことが調べられ詳しく書かれています。


そして彼は、最後をこんな風に結んでおられます。

小林はもやは社会にとって脅威ではない。

だから、その死が社会に与えるものはなにもない。

この死刑は不当であるだけでなく、完全に無意味だ。

そして、再生を果たそうとする人にわずかばかりの慈悲を注ぐことは、そこまで大きな罪悪なのだろうか。


私の「これから」は完全な空白だ。

法科大学院に希望はなく、最近の就職事情は極めて厳しい。

まともな職につけるかわからないし、豊かな人生を歩むことができるかは、さらに不透明だ。

だが、小林の「これから」は、わずかな数ヶ月後に結論が指定されてしまった。

それでも、死を突きつけられた小林は、澄み切った心の平穏を得て、静かに未来を見つめている。

命を失う恐れはない私は、余裕をなくし未来に慄いていた。なんとも滑稽な対照だ。

しかし「これから」が恐ろしくても、希望が見えなくても、私は歩き続けなければなない。

私自身が、私の人生を掴み取るために。そして小林の「これから」を見届けるために。




「アスペルガー」と「死刑囚」という二人の青年。

 決して交わるはずのなかった二人の人生は、

『死刑』 というものによって出会い、お互いの心を通わせていく…。

でもそこに未来はない。


本の帯には、

死刑制度の是非をいまいちど問う と書かれてある。 


そうなんですよね…。

この本を読むと「死刑について」考えさせられます。


そもそも、自分は、死刑について何を知っているのだろう?

存置派か廃止派か?

そう問われたらみなさん答えられますか?


世界は、廃止への流れとなっていて先進国で死刑を存置しているのはアメリカと日本だけ。

数々の冤罪。

そして、死刑が犯罪抑止力を持たないことを考えると、

(宅間のように「死刑になりたいから人を殺す」という人がいるのなら)

死刑は廃止するべきなのかもしれない。

でも、もし当事者となったならと考えると、簡単に答えが出せない。

もし家族が何の落ち度も無く殺されたりしたら、

私はきっと本村さんのように、

「死刑にならないのなら早く世に出してほしい、自分の手で殺すから」と言うと思うから。



この先、

"絶対に犯罪に巻き込まれない"という保障はどこにも無いし、

"裁判員"に選ばれる可能性だって無いとは言えません。

「死刑」というシステムについて。

いまいちど一歩踏み込んで、誰もが考えてみなければならないのではないか、と思いました。


『慈悲と天秤』は、そんな機会を与えてくれる一冊です。。

ぜひ、たくさんの人に読んで頂きたいな、と思います。
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2011.05.26 Thu l 本・アート・音楽・映画 l COM(4) TB(0) l top ▲

コメント

No title
この事件にかかわった廣畑智規は同じ高校でした。入学当初、すごい睨まれたのを覚えています。ぜひ、この本読んでみます。
2011.07.16 Sat l きつね. URL l 編集
きつねさん
コメントくださりありがとうございます。
この本に興味を持って頂けてとても嬉しいです。
事件のこと。
実際にご存知の方なら、また感じ方は違うのだと思います。
ぜひ読んでみて下さい!
2011.07.17 Sun l keropaki. URL l 編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013.03.02 Sat l . l 編集
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2015.10.21 Wed l . l 編集

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