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アイデンティティ。

今度は、映画の話ではなく、ちょっとだけ自分自身のことを。


私という人間が形成されていく上で、多大な影響を与えてきたものの中に、

「母の教え」というものがある、と私は思っている。

幼少の頃から、母が私に口をすっぱくして言い続けてきたことは、

「ひとのフリみて我がフリなおせ」 と、

「蒔かぬ種ははえぬ」  ということわざ。

そして、

“お礼”というものに対して、過剰なほどにうるさかった。


「蒔かぬ種ははえぬ」という諺は、元々、母の父親(私の祖父)が、いつも言ってた教えで、

「まいといたら、どっかから芽が出てくるもんや。

 まかんかったら、何にもでてけえへん。

 他人の役に立てることは、すすんでやりなさい。

 やったことは、きっとどこからか返ってくるから。」


母は、ことあるごとに 「おじいちゃんは、いつもそうゆうたはったで。」と言い、

「まく努力を惜しんだらあかん」ということを言われ続けてきた。


そして、“お礼”

これはもう、すごくうるさくて。「お礼は何回言ってもいい」というのが母の持論で、

何かをしてもらったら、その場で「ありがとう」

次の日に会ったなら「昨日はありがとう」

また、しばらく経って会ったなら「この間はありがとう」

「ありがとう」は、何回言っても悪くないんやから、何回でも言いなさい。

そう教えられてきた。

例えば、幼少の頃はこんな事もあった。

母が私宛の何かを預かってきたとする。(お子さんにどうぞ、といって頂いたお菓子など)

そうすると、必ず“お礼”の電話をかけさせられた。

「あなたに、といってもらったんやから、あなたがお礼を言いなさい」と言って電話口に出さされる。

小さい頃の私は、これがとても嫌で。

「お母さんがお礼言ってもらってきたんやから、それでいいやん」と思いつつも、

お母さんには逆らえず…。 電話に出てお礼を伝えると、

「わざわざ電話くれなくてよかったのに!」と、

大抵の人は電話の向こうでそう言う。

内心私は、「ほら!わざわざいらんってゆうてはるやん!」と、いつも疎ましく思っていた。


そして、もう一つ。「感謝の気持ちを伝えること」

何かをしてもらって嬉しかった時は、

そのことをちゃんと相手に伝えなさい。ということ。

母がいつも言ってたことは、

「世の中に、“文句”を言う人は、たくさんいるけれど、

 良かったこと・ 嬉しかったことを

“良かった嬉しかった”とわざわざ伝える人って意外と少ない。

 文句は、ほっておいても誰かが言うんやから、

 嬉しかったことを相手に伝えることを面倒がらずにやりなさい。」


これも、はっきり言って面倒くさかった(笑)

「いちいちそんなん言わんでも…。」と、思っていたけれど、

やってみると、これって案外気持ちがいい。

“文句”って、言うと、自分自身も負の感情に支配されてしまうのだけれど、

嬉しかった気持ちを伝えることは、それとは逆で。

自分自身の為にも、とても良いことなんだな、って気がつけるようになった。



どれもこれも、嫌だな、面倒だな、と思いながらやっていたことだったのだけれど

だんだんとそれが当たり前のこととなり、気がつくと、母に言われなくても、

自分からお礼の電話をかけたり、礼状を書くようになったりしていた。

そんな自分を振り返ってみると、

この「母の教え」に、随分と助けられて生きてきたのではないか?と思うようになったのです。

面倒くさい、疎ましい、と思いつつもやってきたことは、

いつしか、私という人間の一部となっていて、

何より、思考がマイナスに支配されることが少なかったのは、これらの教えのお陰かもしれないな、と思うのです。


この年になってやっと、

母が言い続けてきてくれたことが、どれほど大事なことだったのか!を感じれるようになったのです。


実は、今年、一通の手紙をある方に出したことから、ちょっとしたミラクルがありました☆

長くなりますので、その話はこの次に。
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2010.12.20 Mon l 今日のゆうちゃん l COM(0) TB(0) l top ▲

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