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久しぶりに一気読みしました!

告白

昨年から、さんざん話題になっていました『告白』。

遅ればせながら手にとってみました。

評判通り、読み出したら止まらない驚愕の一冊でした。


第一章「聖職者」は、4歳の一人娘を亡くした中学教師の告白からはじまります。


  「愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからです」


教員を辞職する最後の日のホームルーム。

たんたんと冷静に(いや冷淡に)彼女は告白をはじめるのです。


 「殺意はあったけれど直接手を下したわけではない少年A。

   殺意はなかったけれど、直接手を下すことになった少年B。」


殺人の真相はすでにあきらか。

しかし、彼女は警察には真相を話さない。

なぜなら、法に処罰を委ねたところで、「少年法」に守られ、

大人しく児童自立支援施設かどこかで作文でも書いていれば、

数年後、何食わぬ顔をして社会に復帰できるからです。



そうして、この告白から、彼女の 復讐 がはじまるのです。

その恐ろしい告白からはじまる…クラスの子ども達、またその親の「告白」

いじめ、暴走、虐待、ねたみ、悪意、残虐、自己中心的、、、あらゆる人間の負の部分が

これでもか!というくらいさらけ出される。それもとてもリアルに。


中でも、今、世の中に渦まいていることって、まさに次ようなことなのではないか、と思ってしまいました。


「ほとんどの人たちは、他人から賞賛されたいという願望を少なからず持っているのではないでしょうか。

しかし、良いことや、立派なことをするのは大変です。

では、一番簡単な方法は何か。悪いことをした人を責めればいいのです。

それでも、一番最初に糾弾する人、糾弾の先頭に立つ人は相当な勇気が必要だと思います。

立ち上がるのは、自分だけかもしれないのですから。

でも、糾弾した誰かに追随することはとても簡単です。

自分の理念など必要なく、自分も自分も、と言っていればいいのですから。

その上、良いことをしながら、日頃のストレスも発散させることができるのですから、

この上ない快感を得ることができるのではないでしょうか。

そして、一度その快感を覚えると、一つの裁きが終わっても、新しい快感を得たいがために、

次に糾弾する相手を捜すのではないでしょうか。

初めは、残虐な悪人を糾弾していても、

次第に、糾弾されるべき人を無理矢理作り出そうとするのではないでしょうか。

そうなればもう、中世ヨーロッパの魔女裁判です。

愚かな凡人たちは、一番肝心なことを忘れていると思うのです。

自分たちには裁く権利などない、ということを……。」



そうして、最後に語られる衝撃のラスト。

このラストについては、「後味が悪い」というような事が言われているようですが、

わたしにとっては、爽快なくらい。


私自身、本中にも出てくる「K市児童殺傷事件」や「H市母子殺人事件」の報道を見ながら…

「もし、自分の子どもが殺されたら」 ということを考えたことがあります。


もしそうなったら、、、、

絶対に復讐してやる。 と。

法の裁きになんて、奪わせない。自分の手で裁くのだ。 と。


「憎しみを憎しみで返してはいけない。それで心が晴れることなど、絶対にないはずだ。」


そんなことは、百も承知です。

でもこれは、出来る出来ないやるやらない、の問題ではなく想いはそうなのです。


ですから、小説の中だけでも、こんな凄い復讐を果たすことのできた悠子先生に、私はあっぱれです。


最後の言葉

「ねぇ、渡辺くん。 これが本当の復讐であり、あなたの更生の第一歩だとは思いませんか?」



さて、どんな復讐だったのか?

気になった方は「告白」読んでみて下さい☆
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2009.06.22 Mon l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲

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