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道へのこだわり、トイレへのこだわりなど、「こだわり」のことを書いていて、読み返した一冊。

村瀬 学 / 「自閉症」-これまでの見解に異議あり! 

この本は、私が読んだ「自閉症」と名の付いた本の中で、唯一共感し納得できた一冊。

それは、「自閉症」を論じているのではなく、「自閉症論」批判を論じるというもの。


村瀬学


まずは、村瀬先生が書かれている文章を引用します。


自閉症児の特徴は、 「変化への抵抗」 ・ 「同一性の保持」 という点にみられる。

数、 暦、 地図 の発見は人類が作り出した三大叡智であるが、

「順序」 や 「配列」 が損なわれるとき、

人は誰でもある程度のパニック状態になる。

自閉症児の「おそれ」の根には、こうしたメカニズムが働いていることがみて取れる。

彼らとわれわれは決して断絶しているのではなく、むしろ同じ地平に立っている。

これまでの  自閉症=特殊論  に異議を唱え、

この生のあり方がだれにでも共感でき、理解できるものであることを主張する。




私が、ゆうちゃんを育てながらいつも感じていることは、

「私は、ゆうちゃんに人間の本来あるべき姿を教えてもらっている。」ということ。

随分前に、このブログを読んで下さっているある方から↓コメントを頂いたのですが、


「私達は、普通に生活していて
 
 自然の一部だと言うことを忘れているよね。

 ゆうちゃんが、それを教えてくれているんだね。」



おっしゃるその通り。

ゆうちゃんの歩調に合わせて歩むようになると、世界が変ったのです。

忘れていた、気づかなかった、知らなかった、たくさんのことが見えてきたのです。

今まで見えていなかったものが見えはじめ、

(でもそれは、全く異世界のものではなく、自分の中にあるはずの何かであることに気づき)

自分がとても豊かになっていることに気がついたのです。

村瀬先生が書いておられるとおり、

「彼らとわれわれは決して断絶しているのではなく、むしろ同じ地平に立っている。

 この生のあり方がだれにでも共感でき、理解できるものである。」 と私も強く思うのです。



そして、この本の中には、

私が、「ティーチプログラム」に対して抱いている嫌悪感の本質的なこともズバリ書かれてあり、

なるほど!と納得させられることばかりだったのです。

(昔書いた記事はこちら→ティーチプログラム )


<「TEACCHプログラム」への疑問>より引用。

「TEACCHプログラム」というのは、言葉の通じない子ども達に「視覚化」した教材を使って

教育するという発想のもとに、ノースカロナイナ大学医学部で生まれたものである。


確かに、「順番」や「順序」「配列」にこだわる子どもたちがいて、

そういうこだわりを生かして、日常生活で繰り返される手順や順序、段取りを、絵カードにして

わかりやすく子どもと共有するというものは、理にかなっていると思う。

しかし、そういう順序や段取りの絵カードを使う暮らしぶりを、

どうして「プログラム」や「トレーニング」というような用語を使って実施しなければならないのか、

私はいつも疑問に思ってきた。

子どもを「訓練」の対象のように見て欲しくないと、かねてから思ってきたからだ。


大事なことは、暮らしの中で、その子どもがこだわりやすい手順や段取りに注意を向けることで、

そういう日常の暮らしにそった視覚化をすることを、別に批判的に思っているわけでもない。

ただ、そうした暮らしの段取りを「生活スキル」とか「家事スキル」とかいうふうに

特別な用語で呼ぶアカデミズムには、生理的に受け入れないものを私は感じてきたのだか、

それは私だけの感じなのだろうか。



これを読んだ時、

私の中で何かが浄化されていくような気持ち良さを感じました。

だって、驚くほど私の思いを明確に書いて下さっているんですもの!


このようにして、

村瀬先生は「自閉症児のこだわり」や「育てにくさ(家族の苦労)」の中に、

実は、「自閉症」の問題という枠を外して、私達自身の抱える、

私達が生きるために支えられている仕組みを考えることがあるはずだ

書かれているのです。


例えば 「並んでいるもの」 へのこだわり。

「並んでいるもの」 のことを考えるときに、「並んでいるもの」にまつわる自分のことを少し書いてみたい。

大学に入って最初に戸惑ったことは、自分の机がないということだった。

高校時代は「座席」というものがあって、学校へ行くと決められた自分の机にカバンを置いて、

友達とおしゃべりをしていればよかったのだが、

大学には 「教室」 はあるのだが、自分の 「座席」 がなかった。

ここがあなたの場所ですよといってもらえる決められた自分の場所がないというのは不安なものである。


この「座席」というものを、大きく 「社会」の中の「座席」 とか、 人生の中の「座席」 というように考えてみると、

そこで 「自分の居場所」 というふうなことが問題になってくる。

例えば 「家」 は、私にとっても 「座席」 である。

私の氏名、年齢、職業も実は、 「座席」 である。

私は自由にそれらを置くことは許されない。

それらは、社会に登録される「座席」として容認されてきたものである。


ふだんはそういうことは意識しないけれど、私達はこうした「座席」によって守られており、

その固定した位置を得ることで、揺れ動く世界の中での「安全圏」を得ることができている。

動かない「起点」が確保できて、揺れ動く世界に出て「自由」なことができる。


それでは、なぜ、自閉症の問題を考えるのに、このような「座席」の考察が必要なのか。

これは、今まで「自閉症」と呼んできた人たちの行動を、

あまりにも  症状  として見すぎてきたがために、

そういう行動がもっている普通の意味を考えることがなかったからである。


「症状」とされた行動は、あまりにも特別視され、特別な用語で語られすぎてきたのである



例えば、自閉症と診断されてきた子ども達の中にもっとも顕著に見られてきたのが、

「同一性保持」とか「変化への抵抗」「強迫的な同一行動」と呼ばれてきたものだった。

それは、「物を一列に並べる」とか「部屋の中の並んでいる物を動かすと怒る」とか、

「道順にこだわる」くるくる回るような「同じ行動をいつまでも続ける」とか。

これらには、「列」にするとか、「列」にこだわる行動があるのが見て取れる。

つまり、順番に並んでいるものについてのこだわりが見られる。

しかし、「列」とはいったい何なのだろうか。

それが何かと問う発想がないと、こうした関心を示す人たちの行動の意味が見えてこない。

見えてこないから、「病気」 や 「症状」 にしてしまう発想がでてくることになる




村瀬先生は、ご自身の経験をはじめ、さまざまな例を挙げて、

自閉症といわれている人の行動が、普通といわれている人の行動とおなじ地平に立っていることを

丁寧に説いてゆくのです。


例えば、朝、あるべき場所に自分の歯ブラシが無かったとしたら…。

一瞬パニックになってしまわないか?

その朝の手順が狂わされてしまうことなってしまわないか?


また、映画「レインマン」の主人公:自閉症のレイモンドは、

カジノで、まだ並べていないカードの枚数を言い当てる。

もちろん、映画ですから誇張されているのは言うまでもないのですが、

まったくの作り話でないことは、「百人一首」という競技を思い出せばわかる、と言う。

並べてあるカードと、まだ読まれていないカードと、次に読まれるカードの、

三つの組み合わせを瞬時に読む取ることが出来るのだから、

トランプゲームで、複雑な読み取りも可能であることは想像できるのである。


このようにして、自閉症といわれる人の行動は、病気や症状ではなく、

私達と「同じ仕組み」を生きている人たちであることを主張されているのです。


しかも、「自閉とは症状ではなく関係なのだ」 と説く。

例えば、発達に遅れのある子ども と 教師 が関わるとき、教師側に子ども達への「自閉」が起こるのだと。

「固定した見方」を開けなくなる。

ある決まりきった尺度(診断基準)で彼らをみてすませてしまうことが日常化する。

それも、見方を変えれば教師側の「自閉」なのだ、と。





ゆうちゃんが、「道」にこだわり何度も同じ道を通らなければならなかったのは、

「座席」を確認するための作業だった。と思えばとても納得できることだし、

ひとつ前の記事「トイレ」に、まめさんがコメントを下さいましたが、

「こだわり」というのも、実は、私達の中にフツウにあることなんですよね。

そう考えると、自閉症の特徴だといわれていることも、「症状」なんかじゃなく、

私たちとなんら変わりはないことだと思えてくるのです。

こんな風に見方を変えてみると、困った行動だと思っていた事が、少し違って見えてくるのではないか、

と思うのです。



自閉症に関わる関わらない関係なく、ぜひたくさんの方に読んで欲しいな、と思う一冊です。
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2009.06.11 Thu l 本・アート・音楽・映画 l COM(2) TB(0) l top ▲

コメント

No title
もう何年も前にkeropakiさんにお勧めされて読んだ本。
ワタシもこれを読んだとき、気持ちのいいくらいスーッとしたことを覚えてるわ~

今でもはるっぺのことで迷ったり、考えさせられることがあったら読み返してます。

もはや私たちのバイブルだよね♪
2009.06.11 Thu l はるっぺママ. URL l 編集
はるっぺママ
はるっぺママも読んで共感してくれたよね!
私達には、スーッと全てが入ってくるけど、
この本の事を批判している人がいるので、
驚いたわ。
本当に人の考えってそれぞれなんだなぁ~って。
でも、ティーチは本当に宗教みたいになってるよね。
2009.06.12 Fri l keropaki. URL l 編集

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