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うわ~。明日はもう3月!

2月は、なんだかすごーいウェーブがやってきて、嬉し忙し日々が続いています!

2月最後の月曜日は、

東京藝術劇場で、佐村河内守さんの「交響曲第1番HIROSHIMA」の演奏会でした。

  ゆうちゃんを連れてはムリだったので、私一人で。

  とても贅沢な時間を過ごさせてもらってきました。

たくさんのメディアに取り上げられ、すっかりメジャーとなられた後の演奏会でしたので、

それはもう、これまで以上の盛況ぶりでした。



音楽のことは、素人の私には何もいえませんが、

指揮者の大友さんの気迫とか、オケの緊張感とか、ゾクってするくらい伝わってきました。

聴いている私も背筋が伸びる感じ。

取材もカメラの数もこれまで以上で。

広島の地で初演された「交響曲第1番」が、

確実に一歩一歩メジャーになられていく姿に、とても胸が熱くなりました。

演奏を聴きながら、

出会いからこれまでのことが色々と思い出されて、

交響曲第一番との出会いにあらためて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

出会いとご縁にただただ感謝です。


佐村河内守さん情報としましては、

2013年4月6日公開の映画「桜、ふたたびの加奈子」の音楽を担当されたそうです。

hirosue.jpg

原作「 ふたたびの加奈子/ 新津きよみ 」
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早速手に入れ、新幹線の中で読破しましたが、

加奈子ちゃんの生まれかわりを信じる主人公の気持ちにとても共感できて、

広末涼子さんがどんな風に演じられるのか?とても興味有りです!

映画、絶対に見に行ってこようと思います☆
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2013.02.28 Thu l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
先日、ブックオフで物色していて、

「そうそう、みこオススメ有川浩やったな。」と思い出し、

あ行のところで手に取ったのがこの「レインツリーの国」でした。




文庫本の裏表紙は、こんな風にありました。

「きっかけは、忘れられない本。そこからはじまったメール交換。

 共通の趣味を持つ二人が接近するのに、それほど時間はかからなかった。

 まして、ネット内時間は流れが早い。

 僕は、あっという間に、どうしても彼女に会いたいと思うようになっていた。

 だが、彼女はどうしても会えないと言う。

 かたくなに会うのを拒む彼女には、そう主張せざるを得ない、ある理由があった一。」



ふーーん。ネットで知り合った恋愛かぁ~。

いまどきの恋愛小説って感じなんかなぁ・・・。と、

たぶん「有川浩読んで!」とオススメされていなかったら読んでいなかったであろう一冊。

全く情報ナシで読んだものだから、

途中、「あれ?この女の子もしかしたら…」て思ったら、やっぱりそうだった。


この本、ぜひたくさんの人に読んで欲しいって思った。

できれば、なんの情報も入れずに。

だから、あえて感想は書かずにおこうと思う。

できたら、読み終えたらこの小説について語りあいたいな、って思う。

そう、この主人公の伸とひとみのように。


ただ、これを読んで「ぜひ知ってほしい!!」って思ったことがある。

ネタバレになっちゃうので、

私の知人のサイトをリンクしておきます。

こちらです。


このサイトの管理人さんと私の出会いも、よく考えてみれば一冊の本がきっかけです。

彼は、ほんとに誠実で一生懸命で、素敵な青年です。

益々のご活躍を!と陰ながら応援させてもらっています。

本との出会いって、確実に人との出会いに繋がってますよね。


有川浩の小説の人気がなんかわかったような気がしました。

「図書館内乱」は未読なので、これから読んでみますね!
2013.02.12 Tue l 本・アート・音楽・映画 l COM(2) TB(0) l top ▲
レ・ミゼラブル 観てきました♪



本当は、ゆうちゃんに見せたくて、めっちゃ誘ったんですが…。

「やめて」と、行ってくれなかったので、私一人で鑑賞。


  実は、訪問で来てくださっているゆうちゃんの先生が、
 
  映画を観られて「ゆうちゃんが気に入にいりそうな映画」だとオススメくださったので、

  ぜひ連れて行きたいなーと思っていました。

  (まだ上映はされているので、行く気になってくれたら連れて行きますね)  



私個人的にも、この映画は観たいなーと思っていて。

ミュージカル映画は、何本か観たことありますが、

全編通して「生歌」で撮影ってことに興味ありで。

映画でそれをやる必要があるんかなー?って思いながら観てきたのですが、

役者さんの迫力とか臨場感は、めちゃくちゃ伝わってきて、

今までみたものとは、ちょっと違うな、って感じでした。

確かに、良い映画ではあったんですが、

号泣するほどでなかったことも確か。^^;

私的には、ミュージカル映画のナンバー1は、「オペラ座の怪人」なので。

やっぱりそれは不動の一位でした。

ジャン・バルジャンよりファントム!!

ってのが、今回の映画の感想。(←全然感想になってない)笑



それよりなにより、

「ゆうちゃんが気に入りそうな映画」と、

ゆうちゃんのことを思ってくださる先生の思いが嬉しかったです。
2013.02.10 Sun l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
東大出身、「反貧困ネットワーク」を立ち上げた湯浅誠さんの著書。

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これは、ぜひ今読んでおいたほうが良いよ、とオススメされていたので手にとってみました。

「民主主義について書かれた本」といわれると、

なんとなく難しそうで面倒くさそう…な気がするのですが、

湯浅さんの文章は、分かりやすくてとても読みやすい。

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく…

と、おっしゃっていたのは、確か井上ひさしさんだったと思うのですが、

まさに、湯浅さんの文章はそんな感じ。

そして、自ら経験されてこられた方の言葉には、説得力がある。


例えば「既得権益」について。ご自身のことに触れこんな風にかかれています。


湯浅さんの三歳年上のお兄さんは、身体障害者である。

お兄さんは、高校を出られてから社会福祉法人で働いておられる。

その事業所は、健常者と障害者が半数ずつ働いているところで、運営のために税金が投入されている。

お兄さんは筋萎縮性の障害をもっておられるので、

生産性としては、障害のない「ふつう」の人たちの十分の一くらい。

他方、身体障害者手帳の一級を持っておられるので年金を受け取っておられる。金額にすると毎月8万円を越える。

そこにも人々の税金が投入されている。


世の中には、お兄さんの十倍以上の生産性を持ちながら、お兄さんとたいして変わらない収入しか得られず、

その中から税金を支払っている人がいます。

その人には、お兄さんが享受している職場や年金は「既得権益」と映るかもしれない。

現在、「生活保護」が「既得権益」と呼ばれていることが、まさにそうであり、

数年前まで、生活保護受給者が国会で既得権益だといわれることなんて考えられませんでした。

ならば、障害者の受給が既得権益だと呼ばれることだって、荒唐無稽だとは言えないのではないか。

仮に、そのように考える人が増え、お兄さんから雇用先や障害者年金が奪われたとします。

その決断をした政治家に対して

「強い抵抗にあいながらも既得権益に切り込んだ」と喝采を浴びせる人はいるでしょう。

しかし、それがどのような結果をもたらすかは、もう少し先まで考えてみる必要がある。と著者はいう。

社会参加を奪われたお兄さんは、家にいる時間が増え、生活の張り合いを失い、確実に心身の状態は悪くなる。

その影響はお兄さん一人に留まらず、同居している母親、そして弟である自分にも降りかかる。

二人の活動は相当制限されることとなり、実にさまざまな消費活動が奪われることとなる。


もし、このお兄さんの生活をピンセットでつまみあげるように取り出し、

お兄さん個人の生産性(プラス)と雇用先への補助金や障害者年金のコスト(マイナス)を比べた場合、

たしかにそれはマイナスになるかもしれない。

だから、本来お兄さんが値するものよりも、より多くを享受しているという意味で「既得権益」だとされ、

それを剥奪することが「正義」だとされたら。

直接お兄さんに対してそういう評価する人がいなかったとしても、

障害年金を不正に受給している人たちの報道が相次いで

「そんなことを放置しておいてよいのか、もらいすぎじゃないのか、自分はもっと苦しいぞ」

という世論が高まれば、

お兄さんの生活実態が丁寧に省みらることはなくなってしまう。

しかし、当たり前だけれど、お兄さんをその生活の現場からピンセットでつまみあげることは、

空想のなかでしかできない。

現実は、家族関係の中、地域の諸関係の中で生きているわけですから、

お兄さんから社会参加の機会を奪うことは、必ず家族や地域の人たち、ひいては社会全体に影響を及ぼさざる得ない。

したがって、お兄さんだけを取り出して収支のつじつまを合わせたつもりになっても、

現実の収支は、家族、またそれを介した人々の諸活動全体の収支と深く結びついている。

結果として、惜しんで削った分の何十倍か何百倍かの活力と富を社会は失うこととなる。


社会全体に停滞感や閉塞感が広がり、仕事や生活に追われて余裕のない人が増えると、

「自分はこんなにがんばっているのに楽にならない」という不満から、

「自分は不当に損をしている」と感じる人が増えると、

「既得権益」を暴き出そうとする「犯人探し」の勢いが強くなる。

同じモノを見るのに、その“善”の側面よりも、“悪”の側面に着目するようになってしまいます。

そして、そこに切り込む「切り込み隊長」が待ち望まれるようになる。

「強いリーダーシップ」待望論とは、そういうもの。悪人vsヒーローという構図。

この悪人探し&ヒーロー探しが、近年の日本の「民意」の動向を特徴づけている、と。

ただし、

どんな政策でも、それに賛成する人反対する人は必ず出てくる。

政策は基本的に全員を巻き込むもので、巻き込まれる一人ひとりに

「必死の生活とそこから出てくるニーズ」がある以上、それは自然なこと。

そのときヒーローは、どう振舞うか。

自分が進めたい事柄については、反対する人達を「既得権益のために反対しているだけ」だといい、

反対意見を無視し、即断即決で物事を進めていく。

自分が進めたくない事柄については、賛成する人たちを「既得権益の為に賛成しているだけ」だといい、

賛成意見を無視し、即断即決でやめてしまいます。

それは、「既得権益に屈しない」と表現されるものの、同時に、

「一人ひとりの必死の生活とそこから出てくるニーズ」が切り捨てられる、という面も持っています。

ヒーロー待望論は、後者の側面を見えにくくする。


  誰のことを言っているのかは明確ですよね。


世の中は活性化したほうがいいし、豊かな社会に暮らしたい。

誰もがそう思っているし、それに反対する人はいないと思う。

問題は処方箋であり、

異なる意見を闘わせ、意見交換や議論をする中で、お互いの意見を調整することが必要となる。

ただ、これは、家族間であっても難しいわけですから、

見ず知らずの他人で構成されている社会で、意見調整が不可欠なことは、あたりまえすぎるほどあたりまえ。

国家レベルだとこれが「外交」となるわけです。

ただし、それは大変面倒なことでもある。

あるテーマに強い執着を持っている人ほど、

「自分はわかっている」と強い自信をもっているだけに、

異なる意見を落ち着いて聞くことができない、すぐに否定したがる。

夫婦や親子でさえこの面倒くささに耐えられず、分裂する人がたくさんいる。

しかし、それでも、誰かに任せるのではなく、自分たちで引き受けて、それを調整して合意形成していこう

ということが民主主義というシステム。

したがって民主主義というものは、まず何よりも、おそろしく面倒くさくて、

うんざりするシステムだということを、みんなが認識する必要があるのです。


読みながら、考えさせられることが他にもたくさんあります。

例えば、マイナーという分野について。

それは、量として少数派であると同時に、イメージとして少数派であるという両方の意味を持っている、ということ。

イメージとしての少数派というのは、量としては徐々に少数派から脱しつつあるのに、

実態以上に少数派とイメージされやすい。

確かにイメージを変えるのって、なかなか難しい。


また、自分のいる現場が狭い世界にいることを自覚しなくちゃいけない。

狭い世界で濃い密度で接しているから、仲間内では前提とされるものがどんどんと増えていき、

言わなくてもわかる雰囲気ができてしまう。

ところが、外の人たちには、その当たり前と思っていた前提が全然通じない場合がある。

狭い世界の仲間でたくさんのことを前提として共有した頭で外へ働きかけても、

なかなか外の人に通じる言葉が見つからず、空回りしてしまう。

その場合、「外の世界は無理解だ。ひどい。」となるのだけど、

原因はこちら側にあることも少なくない。

自分たちが前提としているものを共有していない人たちと話し合うための言葉が見つけられない、という問題。


確かに、世の中の九割の人が反対していることを、やるべきだと訴えたところで、

それが一割しかいなければ、一割の側につく政治家はほとんどいなくて、当然九割側をとる。

それに文句をいったところで、一対九の構図を変えられなかったら、政治は九をとり続けるということ。

それを、二対八に、三対七に、四対六にと変えていくのが、主権者たる私たち、

主権者として譲れない意見を持っている私たちのやるべきことである。


外の世界と話が通じない、というのは、さまざまな現場でよくあることではないでしょうか。


ちょうど、この本を読み終えたあたりで、タイミングよくこのブックレットが届きました。

「いのちの権利はゆずれない」

 障害者自立支援法に異議あり!

 応益負担に反対する実行委員会

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京都から発信されている「障害者自立支援法に異議あり!応益負担に反対する実行委員会」。

このブックレットは、

「骨格提言・権利条約にもとづく障害者総合福祉を」と題されていて、

障害者福祉政策の改革の現状を知ることができます。

「障害者自立支援法は廃止して総合福祉法(仮)をつくる」と国が約束したものの、

「骨格提言」の内容がほとんど反映されず、たんなる名前の付け替えにすぎないこと。

「骨格提言」とはなにか?をもう一度学び直し、

権利条約に批准させ、骨格提言にもとづく法律を実現しよう!というものです。

こうして粘り強く運動していくことの大切さというものが、

湯浅さんの本を読んだあとでは余計に伝わってきました。

私も、もっと学んで活動していかないとあかんなぁ(汗)と、切に感じたのでした。


かなりまとまりのないレビューになっちゃいましたが オススメの一冊です。
2013.02.07 Thu l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
あっという間に一ヶ月が過ぎてしまい、もはや2月。

はやい、早すぎ!この調子で2月は逃げてくんですよね、、、きっと。


1月は、出かけることが多くて、自宅と実家を行ったり来たりの日々でした。

なので、ブログの更新がなかなか進まなかったのですが、

ひとつ特筆すべきことがあったので、遅ればせながら報告したいと思います。

それは、今年度も、某大学の「障害児者ケア論」にゲストスピーカーとしてお声をかけて頂いたことです。

大学に行くのは二度目ですが、学生さんは前回とは違う学年の方達。

基本、学生さんたちに伝えたいことは前回と変わりは無いのですが、

ゆうちゃんの状況の変化もあり、少し変えた部分もありました。


「大学へ話しに行くねん。」と、友達に言うと、

「なにしゃべるん?」といつも聞かれるので(笑)

少しだけ内容を書いてみようと思います。


まずは、ゆうちゃんが就学時に、

ゆうちゃんのことを少しでも理解してもらえるよう学校へ提出したお手紙を読みます。

そのお手紙の中には、

1歳6ヶ月で「発達相談の必要あり」と診断され、

療育教室へ通うことをすすめられたことに疑問を持っていたこと。

子どもは自然の中で育つべきだと思っていたし、

標準化された型に無理矢理押し込めたくない、と思っていたこと。

3歳になる頃には、公園で他の子供たちと一緒に遊ぶことよりも、

近所にある一本の木を見ることが大好きで、毎日木を眺めに行ってたこと。

一本の木を何時間も眺めていられるゆうちゃんの感性を羨ましく思った私は、

今、この子の持つ感受性を壊さないように育てよう、そう心に決めたこと。

ゆうちゃんの行動は、一見奇妙だったり、その場に不適切だったりする場合があるけれど、

それは、彼なりのコミュニケーション手段であるかもしれない、ということをどうか理解して頂きたい。

どうか、無理矢理みんなの中に入れるのではなく、

彼が自分から入っていけるようになるまで待ってやってほしい。


そんなことなどを書いたお手紙を読んで、

まずは幼少時代、自閉症という障害と向き合うまでのことを聞いてもらいました。



そのあと、小学校へ入学してから起こった大きな2つの出来事

●頻尿になりトイレでおしっこが出来なくなったこと。

●食事へのこだわりがだんだんと強くなり、とうとう何も食べなくなってしまったこと。

これらをどう乗り越えてきたか。

支援学校で、訪問教育を受けるに至った経緯。

そして現在、彼の描く絵が認められるようになるまで。

これまで、私に対する周りの人の声かけが、

「お母さん、いつも大変ね。」だったのが、

ゆうちゃんの絵が認められるようになってからは、

「ゆうちゃん、すごいね。」に変化したこと。


そんなあれこれを具体的にお話させてもらいました。


その中で、常に私が一番伝えたいと思っていることは、

ゆうちゃんを育てる中で、救い勇気づけてくれたものは、

障害に対する知識や訓練などではなく、日常生活の中でのちょっとした出会いだった、ということ。


例えば、ブログに書いていますが、

月と人間の体との関係の不思議。 満月と新月の話だったり、

大好きな星野道夫さんの言葉など。

星野さんの話は、もしかしたらブログに書いてなかったのかな? 探したみたけど見つからないので(汗)

ちょっとここに記しておこうと思います。

ゆうちゃんが幼少の頃、たまたま見つけた星野さんの子ども向けに作られた写真集の中の一節に、

こんなことが書かれてあったのです。


・・・・・


それは、アラスカの深い山に、カリブーの写真を撮るためにセスナ機から降り立ち、

「ひと月したらむかえにくるよ」というパイロットの言葉を最後に

たった一人残されたときに感じられた気持ちです。

「気の遠くなるような大自然の中に、ぼくだけが取り残されました。

 寂しい気持ちもありました。これからひと月間人に会うことはないのです。

 けれども大きく深呼吸をすると、叫びだしたいような自由を感じました。」


・・・・・


この、「叫びだしたいような自由」という言葉が、私にはものすごい衝撃だったのです。

私なら、アラスカの山奥にたった一人残されたりしたら、こわくて自由を感じるどころではありません。

ましてや、叫びだしたいような自由というものを、感じたことがあるだろうか?と問うたのです。


星野さんのこの言葉に出会ってから、

今、私の目の前で、毎日こうして一本の木を眺めている息子は、

もしかしたら、星野さんと同じように自由を感じているのかもしれない。

あるいは、将来「叫びだしたいような自由」というものを、感じることができる子なのかもしれない。

そう思うと、一層彼の行動が愛おしく、私の背中を押してくれたのです。


そして、それらを育てていく上で最も重要だったことは、

マニュアルにとらわれず、心で動いてくれた人たちとの出会いだったこと。


道に強いこだわりを持っていた頃、

テーマパークで巨大迷路に入ってしまって、

入り口から出口へと向かい、こんどは出口から入り口へ向かおうとしてしまったとき。

出口にいた係りの人は、「こちらからは入れません」の一点張りだったけれど、

入り口を担当していた方が、その様子をみて、こっそり出口から入れてくださったこと。

「道にこだわりがあり、同じ道を通らないと気がすまなくて、今度は出口から入り口へ向かいたいんだ」

と話すと、「じゃ、入り口で待っててあげるね」と、

入り口からゆうちゃんをそっと外へ出してくださったこと。

その時の係りの方の何気ないちょっとした優しさが、私にとっては一生忘れられない出来事になっている。

そんな一例を挙げて、

マニュアルでなく心で動いてくれた人達に救われてきたんだ。

ということを、みなさんに聞いて頂いたのです。




講義が終わって、

後日、学生さん達のレポートを読ませていただき、

私が一番伝えたかったことが、ちゃんと伝わっていたことが分かり、

役目を果たせた安心感と、伝わったことの嬉しさで、なんだか胸がいっぱいになりました。

聞いてくださった学生さん達、本当にありがとう。

そして、こんな機会を与えて下さった先生に心より感謝しています。

この先、まだ何が起こるかわからないけれど、

行き詰ったときは、この宝物(レポート)を読み返して励みにしたいと思います。

ありがとうございました。

多謝。
2013.02.02 Sat l 今日のゆうちゃん l COM(4) TB(0) l top ▲
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