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とっても可愛い本を頂いたので♪

バナナ
バナナのお菓子/坂田 阿希子


さっそくバナナのお菓子を作ってみました。

中でも一番簡単で美味しい!ってやつ。(笑)


バナナのチーズテリーヌ

難しそうな名前がついていますが作り方はいたって簡単なんです!

クリームチーズ 250g
サワークリーム 150g
グラニュー糖   90g
全卵       1個
卵黄       2個分
バナナ      1と1/2 (140g)
生クリーム    100ml
コンスターチ    大2
バニラビーンズ   1/2本分

材料はこれだけ!

クリームチーズ・サワークリーム・グラニュー糖・卵…

と、順番に混ぜ合わせていくのですが、

今の季節、室温がめっちゃ高いので、あっという間にクリームチーズが柔らかくなり、

パパパッ!と手早く作れちゃいます。


ただ、焼き方に少しコツがあって、普通にオーブンに入れるのではなく、

出来上がったものを型に流し入れ、その型を金属製のバットに置き、

型の1/3 の高さまで熱湯を入れて、天板にのせて160℃のオーブンで約一時間「蒸し焼き」にする。



我が家には、型が入る大きさのバットなんてものが無かったので、耐熱のお皿を代用。

あ、あと、バニラビーンズも無かったので、バニラエッセンスでごまかしておきました(笑)


焼きたてはこちら。

P1000539.jpg
ベーキングパウダーを使いませんが、結構膨らみます!


そして、冷蔵庫でよーく冷やして食べてみた!

P1000544.jpg

食べてびっくり。

とろける食感!

まさに、名前の通りバナナのチーズテリーヌだ!!(←当たり前やろ!)

ただですねぇ…、私的には少々甘かったんですよ。

なので次回は、

グラニュー糖を控えめにして、バニラビーンズも忘れないように用意して再挑戦してみようと思います。



ところで。

先日、『 RED 』という映画を観て…

red0.jpg

こんなことをやっているのですが…。

P1000532.jpg

ほんまに芽は出るのでしょうか???


…… っていうか、

「RED観てソコですか?」 って突っ込まれそうですが…。

気になる方は、REDご観ください(笑)


とりあえず、芽が出たら報告したいと思います♪
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2011.06.30 Thu l お料理・その他 l COM(0) TB(0) l top ▲
7月20日、いよいよ待望の

佐村河内守:交響曲第1番『HIROSHIMA』 CD が発売されます!


378.jpg


【日本コロンビア創立100周年記念作品】

佐村河内守:交響曲第1番『HIROSHIMA』

大友直人指揮東京交響楽団


1945→2011  絶望の先に―
孤高の作曲家・佐村河内守が、
凄絶な闘いを経てたどりついた世界
苦しみと闇の彼方に、
希望の曙光が降り注ぐ、奇跡の大シンフォニー

全ての聴力を失う絶望を経た作曲家、佐村河内守が完成させた『交響曲第1番』。
中世以来の西洋音楽の歴史を包含し、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ等、
ロマン派シンフォニストの系譜を受け継ぐこの交響曲は、
佐村河内の出自(被爆二世)が反映された自伝的作品でありながら、
「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は強く輝く」という作曲者の言葉に象徴されるように、
東日本大震災の惨禍を経験した私たち日本人の心にも深く通じる、
魂を救う真実の音楽といえましょう。
危険を感じる大きな余震が続く中での録音セッション。
大オーケストラが、大友のタクトのもと、まさに一塊の火の玉となり燃え上がるさまは圧巻の一言です。
最終楽章、苦しみと闇の彼方に、希望の曙光が降り注ぐ――。
「現代に生まれた奇跡のシンフォニー」を、是非お聴きください。(コロムビア)

【作品年譜】
2008年9月1日、広島厚生年金会館ホールにて世界初演(第1楽章と第3楽章)秋山和慶指揮、広島交響楽団 *
2008年、広島市民表彰(市民賞)を受ける。
2009年、芥川作曲賞の選考過程で審査員である三枝成彰が推すも最終候補とならなかった。
2010年4月4日、東京芸術劇場(広島初演版による改訂版の第1楽章と第3楽章)大友直人指揮、東京交響楽団
2010年8月14日、京都コンサートホール 全曲初演 秋山和慶指揮、京都市交響楽団
* 「G8議長サミット記念コンサート~ヒロシマのメッセージを世界に~」

【収録情報】
・佐村河内守 作曲:交響曲第1番『HIROSHIMA』[81:37]
 東京交響楽団
 大友直人(指揮)

 録音時期:2011年4月11-12日
 録音場所:パルテノン多摩
 録音方式:デジタル
http://www.hmv.co.jp/news/article/1106060068/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2008年9月広島  2010年4月東京  2010年8月京都

三都市全部の演奏を聴かせて頂いた私は、ほんとに幸せ者です。


『核兵器のない世界をこどもたちに』

佐村河内さんがいつもおっしゃられることは、

祈りの伝承と、核兵器の廃絶。

核兵器が世界から全て廃絶され、更に次の世代の子ども達が安心して

恒久平和の世界を本物の笑顔で過ごせるように願ってやまないと。


今や、原発だって同じですよね。

(アメリカ先住民のことわざ)にこんなのがあるそうです。


「大地は先祖からの贈り物ではなく、子孫からの預かり物・・」



今、私達が向き合わなければならないものを教えてくれていますよね。

佐村河内さんの音楽も、真実を語り本当に大切なことを教えてくれます。

大友さん指揮のこのCD。

私もとっても楽しみにしています♪

ぜひ、たくさんの方に聴いて頂きたいな、って思います。


こちらはよかったらご参考までにどうぞ。
                
2011.06.28 Tue l 本・アート・音楽・映画 l COM(1) TB(0) l top ▲
今日は、ちょっぴりツライことがありました。

学校帰り、バス停から家までの徒歩での帰り道でのこと。

戸締り大臣は、いつものように扉が開いているお家の門を閉めながら歩いていました。

それぞれのお家の方には、「門を閉めさせてください」とお願いをしてあるので、

私は、もうすっかり安心して帰り道を歩いていました。

ところがです。

今日は、その中の一軒(喫茶店)の扉が、植木鉢をストッパー代わりにして置かれていて、

扉が閉めれないようになっていたのです!!

その扉の姿をみた瞬間、ゲッとなった私。


そこの喫茶店は、

いつも扉があけっぱになっていて 中でいつもおばさん達がおしゃべりをされているので、

「こんにちはー!いつもすみません。」と声をかけ頭を下げて扉を閉めて通っていました。

喫茶店のおばさんとは、はじめてお会いした時に事情を話させて頂き、扉を閉めて行くことをお願いしていました。

おばさんは、「いいよ、いいよー!」と愛想よく言って下さり、

「いつも、お迎えなの?大変ね。」と優しい言葉をかけて下さっていたので、

私の中では、「ここは大丈夫」 という安心感があったのです。


今日は、すごい突風だったので扉を固定しておかなければいけなかったのだと思います。

それに、電力使用を避けてエアコンをつけずに扉を開けて営業をされているのだと思います。


そんなことは、もちろん充分に理解しています。

でも…。でも…。扉を閉めないことには帰れないのが戸締り大臣(汗)

喫茶店の前から動かなくなってしまったゆうちゃんに、

「今日は閉めれないから、このまま帰ろうね!」と、一応、口に出しては言うものの…

ゆうちゃんが、このまま引き下がるとは到底思えませんでした。

喫茶店の前を行ったり来たり、ウロウロウロウロ…私の顔を伺っているゆうちゃん。

私は、「しめたらあかんで!」と、目で訴えながら、どうしようかと迷っていました。

事情を話して植木鉢を動かす許可をもらおうか…、

それとも「絶対ダメだ」と言って閉店まで待とうか…。

どうしたものかと考えあぐねていている間ふとよそ見をした一瞬の隙に、

ゆうちゃんが植木鉢に手をかけて動かしてしまったのです。

すると、中からおばさんがあわてて飛び出してきた。


「風通してるんやから開けといてくれんと!」と、いつもとは違ってえらい険しいお顔。


私もあわてて、

「すみません、すぐに元に戻しますので、一回だけ閉めさて下さい」と頭を下げて、

植木鉢を一旦動かして扉を閉めさせてもらってやっと帰ってくることができた。


ふぅ~、 疲れた…。


理解して下さっている、と私が勝手に思って安心していたのが大間違いだった。(汗)

植木鉢を動かして扉を閉めることを、そんなに険しい顔で拒否られるとは思ってなかったんです…><



おばさんは、きっと、植木鉢まで動かして閉めるとは思ってもみなかったんだろう。

それに、本当は、扉を閉められること自体面倒なことだと思っておられたんだろうな。

フツウに生活している人にとって、

ゆうちゃんの様なちょっと変わった行動をする人のことを理解してもらうのって、

本当に難しいことだな、って改めて実感。


ゆうちゃんのこだわりを通す、というのは、本当になかなかツライことであるのです。(涙)



きっと、私はいま誰よりもとがっている!


2011.06.24 Fri l 今日のゆうちゃん l COM(4) TB(0) l top ▲
走ることについて書いたので、思い出したことをちょっとw


先日、NHKディープピープルって番組で、

女子マラソンの  " 有森裕子 × 千葉真子 × 山下佐知子 "

この三人のトークをやっていてとても面白かったのですが、

その中で、千葉ちゃんが言ったひと言。


「私、調子のいい時は血の味がします!」


これを聞いたあとの二人が、ゲッ!と驚いていたんですが…。


えっ??私も、血の味しますが…なにか?


えーーー、ほんとにみんな血の味しないんですか?

私は、部活やってるころから、激しく動いた時はいつも血の味してましたけど?

それって、当たり前に誰もがそうやと思ってました。

ビックリ!!



血の味知ってるよ!って方、コメントお待ちしてます(笑)
2011.06.14 Tue l マラソン l COM(0) TB(0) l top ▲
『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹

久しぶりに再読。

走る事について

そういえば、フルマラソンを走ってからこの本を読んでいなかった事を突然思い出し、

再読してみた。

うん、うん。

フルを走る前と後では、伝わってくるものが全然違った。



もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。

走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら

大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。

僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨きあげることだけだ。

暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。



いやもう、おっしゃる通り!

大型トラックいっぱいぶん!(笑) 


重要なタスクは、

「これくらい走るのが当たり前のことなんだよ」と身体に申し渡すことだ。

「申し渡す」というのはもちろん比喩的表現であって、いくら言葉で言いつけたところで、

身体は簡単に言うことを着てくれない。身体はきわめて実務的なシステムなのだ。

時間をかけて断続的に、具体的に苦痛を与えることによって、

身体は初めてそのメッセージを認識し理解する。

その結果、与えられた運動量を進んで(とは言えないかもしれないが)受容し理解する。



「申し渡す」という表現が、ほんとにすごくピッタリ。

少しずつ少しずつ運動量の上限を上げて、

身体に「これくらい普通やで!」といい聞かすのです(笑)



そして、"春樹さんでもこんなことがあるんだ" と思ったのがこちら。

80年代のことだが、東京で毎朝ジョギングをしているときに、

一人の素敵な若い女性とすれ違った。

何年にもわたってすれ違っていたから、そのうちに自然に顔見知りになり、

会うたびにお互いににっこりと挨拶をしていたのだが、

結局は話をすることもなかったし(内気なので)、相手の名前ももちろん知らない。

でも、毎朝のように彼女と顔を合わせるのは、そのころの僕のささやかな喜びのひとつだった。

少しくらいそういう喜びがなかったら、なかなか毎朝は走れない。



私も、(何度かこのブログに書いたことがあるけれど)

時々(ほんとうに時々)ジョギングをしている時にすれ違うおじさんがいる。

春樹さんと同じく、何度か顔を合わせているうちに挨拶を交わすようになったおじさんだ。

何年もにわたって時々すれ違うので、会えた日はちょっぴりハッピーな気分だった。

先日、数ヶ月ぶりにそのおじさんとすれ違ったら、

なんと!おじさん、ジョギングをされているではありませんか!!!

いつもウォーキングのおじさんが走っておられるので、ビックリした私は、

「わっ!! ジョギングはじめられたんですか?」

と、思わず声をかけた。

するとおじさんは、 「スロージョギング はじめてみた」

と、めちゃくちゃ照れくさそうににっこり笑ってゆっくりと駆けていかれた。

その姿がなんだかとても可愛くて、(なんて言ったら失礼かもしれませんが)

ちょっぴりハッピーな気分になりました。

残念ながら? 村上春樹じゃなくて、重松清似のおじさんなんですが(笑)

ジョギング時のささやかな喜びって、意外とみんな同じようなことなのかな?って思いました。

走っておられるみなさま、文庫も発売さたようですので、ぜひ読んでみて下さい☆



そして以下は、

9日のスペインのカタルーニャ国際賞を受賞された春樹さんの受賞スピーチ。

ちょっと長いですが、ぜひ読んでみてください☆


 「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。
サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。
長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。
どうしてそんなに時間がかかったかというと、
たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。
それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、
女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。
それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。
この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。
地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、
その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。
場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。
39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。
海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。
堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。
おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。
そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。
生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、
生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。
生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。
日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。
毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。
各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。
日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、
危なっかしいかっこうで位置しています。
我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。
ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、
別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。
おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、
マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。
それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。
もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、
それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。
人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。
今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。
どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?
恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。
いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。
この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。
永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。
これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、
日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、
古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。
人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。
しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。
それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。
桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、
ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。
我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。
そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、
鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。
美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。
しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、
被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。
あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、
普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。
無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。
それについて、僕はあまり心配してはいません。
我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。
いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。
壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。
どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。
少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。
ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。
好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。
それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。
それらはかたちを持つ物体ではありません。
いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。
機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、
少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。
メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、
近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。
畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。
そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。
その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。
原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。
何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、
安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。
なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、
大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、
その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。
その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、
生活を変えることを余儀なくされたのです。
我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。
我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。
そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。
でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、
あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。
今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。
1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、
合わせて20万を超す人命が失われました。
死者のほとんどが非武装の一般市民でした。
しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、
生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、
時間をかけて亡くなっていったということです。
核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、
どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。
ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。
どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、
そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。
我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。
核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。
その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、
その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、
我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、
福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。
それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。
これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、
今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。
我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、
我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?
戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?
我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。
つまり利益が上がるシステムであるわけです。
また日本政府は、とくにオイルショック以降、
原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。
電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、
原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、
日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。
国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、
世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。
原子力発電に危惧を抱く人々に対しては
「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。
国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。
高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。
原発に疑問を呈する人々には、
「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。
効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、
無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、
実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。
それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、
そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。
我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。
しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。
我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。
そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。
そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、
原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、
大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。
 「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、
 それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、
原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。
たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。
それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、
核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。
核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。
日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。
それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。
しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、
その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、
我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。
またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。
我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。
しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。
我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、
彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。
それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。
晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、
みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。
一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、
言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。
我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。
そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。
それは我々が共有できる物語であるはずです。
それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。
我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。
その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。
生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。
大きな自然の力の前では、人は無力です。
そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。
しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、
それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、
そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。
我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。
依って立つ文化も異なっています。
しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、
同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。
だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、
人々の手に取られることにもなるのです。
僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。
夢を見ることは小説家の仕事です。
しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。
その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、
ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。
我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、
そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、
どんなに素敵だろうと思います。
それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、
再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。
我々は夢を見ることを恐れてはなりません。
そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。
我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。
人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。
それはいつまでも受け継がれていくものです。
我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、
義援金として寄付させていただきたいと思います。
そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、
ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。
そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。
(バルセロナ共同)
2011.06.11 Sat l 本・アート・音楽・映画 l COM(2) TB(0) l top ▲
土曜日、復興への祈りをこめて いま歌う (関西合唱団第76回定期演奏会)を聴きに

大阪 いずみホール へ行ってきました。

目的は、 佐村河内 守さんの曲    

     『JURI』 と 『 REQUIEM "HIROSHIMA"』 を聴くため。


このところ、ゆうちゃんの動きが不安定だったので、出かけるのを迷ったのですが、

無事に聴きに行ってくることが出来ました♪

これまでの経験から、、、

演奏中は何も心配することはなく、しっかりと鑑賞する力がついています。

心配なのは演奏の前後、席につくまでのゆうちゃんの動きです。

いずみホールは、初めての場所。

ゆうちゃんが、この場所に興味を示さない訳がない!


トイレはいくつあるか?

扉はいくつあるだろう?


私の心配は、そういったトコロ(笑)

そして今回は、もう一つ心配なことがありました。


それは……座席 。

ん?一体、 座席 の何が心配なのか?と申しますと…。

実は、ゆうちゃんは  の他に、 イス へもこだわりがあり、

扉を見たら閉めなくちゃ!と思うのと同様、

イスを見たら座らずにはいられない! のです。

最近、そのこだわりが強くなりつつあるのです。


例えば、駅のベンチなどは、片っ端から腰掛けていきます。

その 「 座る」  という動作は、ほんの一瞬。

オシリを、ちょん!とつけたら次のイスへと移動していきます。

(マーキング?

例えば、公園のベンチにカップルが仲良く座っていたとします。

そのベンチにあと一人座れるスペースがあったとしたら、

何の躊躇もなく、その空いているスペースに腰掛けに行きます。

(想像してみてください!笑)

そのゆうちゃんの行動に、誰もが驚かれます。


また先日は、お世話になっている大学の先生の講演会へ、400人くらいが入れるホールへ出かけてきました。

講演会が終わり、その場で友人達とおしゃべりをしていたら、急にゆうちゃんが動き出したんです。

座席が気になり始めて…。片っ端から座席に腰掛けはじめたんです!!!

はじまっちゃったら止めることは至難の業。

必死に止めさせようとしたのですが、幸いホールのスタッフの方が理解ある方で、

「いいよー、気が済むまで待っとくよー」と言って下さり…。

ゆうちゃんが全席座り終わるのを見守ってくださったのです。(本当にあり難かったです)

(それにしても、400席座るのは結構大変やったと思います。)


このような経験があったので、ホール は、超要注意場所だったのです。


ですから、ホールに入るのは、演奏がはじまるギリギリ直前。

そして、演奏が終わったら、即!退場!

みんなが席を立って出て行かれる前に、空席が気になる前に、

なんとかしてホールから脱出すること! とにかくそのことに集中していました。

心の準備の甲斐あってか(笑)

なんとか、ロビーのイス全席制覇だけで、ホールを後にすることが出来ました!!

ホッとひと安心です。


と、まぁ、すっかり話が長くなってしまいましたが、

肝心のコンサートは…?

うーーーん。

合唱って、初めて行ったんですけど、

最近、どっぷり glee  にはまっていた私としましては…
(glee 踊る♪合唱部!?) * keropakiオススメ米ドラマ☆

GLEE.jpg

レイチェルが欲しい! (笑)



もちろん、合唱はとても美しいものであったのですが、

実際に、広島で『REQUIEM "HIROSHIMA"』 を聴いて来たものとしましては、

やはり心に響いてくるものが違うな・・・。といった感じでした。

演奏後、ご一緒させて頂いた方がおっしゃった一言に納得。

「"上手い"からといって、感動するとは限らない。」



とにかく、全席制覇というようなおそろしいことにならずに済んで

ほんとに良かったです(笑)

これからもホールを恐れず?色んなことに挑戦していきたい!!と思います
2011.06.08 Wed l 今日のゆうちゃん l COM(0) TB(0) l top ▲
久しぶりに、ゆうちゃんが静止していました。

はい、もう随分慣れっこになってきましたが、時々ゆうちゃんは静止します。

飲まない食べない動かない…。といったまさに静止状態。

しかも今回は、妙な場所?で動かなくなってしまったのです。

ココ(写真↓)洗面所&トイレ前の廊下です。

この物入れ(写真の右手が物入れです)を、じぃーっと眺め、時々しゃべったり?して、

この場所から全く動かないんです!!

P1000519.jpg

実は、少し前から、(この物入れには何かがある?らしく…。)

お風呂上りには、必ずこの物入れの前にしばらく立っていました。

まぁそれが10分や20分や30分くらいなら良いのですが、

ある日、2時間、3時間、4時間…となってきたのです。


そして、決定的となったその日は、学校から帰宅したのが16時半。

そのまま物入れ前で動かなくなり、飲まず喰わずで24時をまわってしまいました。

さすがに「どうしようか?」と焦ったのですが、全く動く様子がみられないので、

「しゃーない!ココで寝るかぁ~!」と、廊下に布団を敷いてみたのです。

P1000516.jpg

すると、あっさりそこで眠ってしまったゆうちゃん。

いやもぉ、予想外の動きにビックリ!

そのまま朝7時くらいまで熟睡してました。

起きてから、トイレと洗面所へは何とか行ってくれるのですが、

その後、また定位置に戻るゆうちゃん。

そしてまた動かなーい!

うーーーん、さて、どうしたものか?

動かないのは良しとしても、非常に困るのは、"食べない・飲まない"こと。

何度誘っても、全く何も口にしようとしてくれません。

結局、その日は30時間くらい飲まず喰わず…だったのです。

さすがにこちらも焦ってきて、

これ以上になったら「点滴行かなあかん…どうしよう…」と思い、

いつも食べなくなった時は、「ポカリ」から始まるので、

ペットボトルのポカリにストローを入れて渡してみました。

すると、ごくごく飲み始めた!

「よっしゃー!」

一旦、胃が活動し始めると、お腹の空きを感じてくるので、

「今やー!」と、

廊下へテーブルを持っていき、ミックスジュース(今も変わらず食事はミックスジュースだけです)を運んでみたのです。

P1000520.jpg

すると、またごくごく飲み始めたゆうちゃん。

「やったぁ!!良かったぁぁぁ!!」と、ホッとひと安心。

とにかく、何か口にさえしてくれたらOKです。


30時間の断食を終え…

食事(ミックスジュース)は取るようになったものの、

その場からは、やっぱり動こうとしないゆうちゃん。


・・・


それから、まる三日間廊下生活が続きました。

トイレと洗顔とお風呂以外は、ずっと廊下に居続けるのです。

そして時々物入れと話す?(笑)



いやもうね。

だんだんと笑えてきますよ。(笑)

一体、そこに何があるのー?誰がいるのー? って感じ(笑)

「もしかしたら、何かが(小さいおじさんが!)見えるかも?」と、

ゆうちゃんと一緒になって物入れをジーーッと眺めてみたりしていますが、

残念ながら私にはなーーんにも見えません。(涙)

一体、何の苦行なのか?呪縛霊の仕業か?いやいや、悟りでも開こうとしているのか?(笑)

ゆうちゃんの中でいったい何が起こっているのか?わかりませんが(汗)

とりあえずは、三日間の廊下生活を終え、

昨夜は、自分の部屋のベッドで休み、今朝(金曜日)は、学校へと向かいました。


そして帰宅後はまた定位置へ・・・。

廊下でミックスジュースを飲み、眠るのだけは自分のベッドへ行くようになりました。

ふぅ~、まぁ、ひと安心。



"何があっても、どんなことがあっても、ありのまま、そのままのゆうちゃんを受け入れる"

私に出来ることは、本当にそれだけなので。

そして、 "ゆうちゃんにとことんつきあう!"

それはもう私の中ではブレない確固たるものとなっていますので、

ゆうちゃんの謎?の行動、とことん追求?したいと思いますw
2011.06.03 Fri l 今日のゆうちゃん l COM(4) TB(0) l top ▲
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