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朝から衝撃のニュース。

マイケル・ジャクソン死去。


ひとつの時代が終わったような喪失感。

とてもショックです。


大好きな 「Heal The World 」

あんまり聴いていたせいで、ゆうちゃんまでもが歌っていました。


 ゆ~あん ふぉ~み~  ゆ~あん ふぉ~み~


Heal the world
make it a better place
for you and for me and the entire human race
There are people dying
If you care enough for the living
Make a better place
For you and for me

世界を治療しよう
世界をより良い場所にしよう
君と僕のため そして全ての人類のために
死にゆく人がいる
もし君が生命に充分な関心があれば
よりよい場所を作ろう
君と僕のために


マイケルは幸せな人生だったのだろうか。

いまやっと、全ての痛みから解放されてネバーランドにたどり着いているのかな。

どうか安らかに眠ってください。

心からご冥福をお祈りいたします。

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2009.06.26 Fri l 本・アート・音楽・映画 l COM(4) TB(0) l top ▲
先日、総合護身武術 「躰全道」(たいぜんどう)」

宗家:廣木 道心(ひろき どうしん )さんのお話を聴かせて頂きました。


まず「躰全道」とは、

空手、柔術、剣術などの日本の武道、さらに中国拳法・ムエタイなど、

様々な武術を修得した後、廣木さん自らの修行体験の過程から生み出された総合武術。

詳しくは、躰全道のHP → こちら を読んでみて下さい。


こうして、あらゆる武術を習得し総合武術を確立した彼が、さらに研究を深められていかれたことが、

障害児・者のパニック時の誘導法の研究。

躰全道による総合武術としての実用法と、障害児・者のパニック時の誘導法を融合し、

技術の研究において一定の成果をまとめられたのです。

「自己護身」 から→ 「自分も他人も傷つけない」ことを目的とした 「自他護身」 へ。


自分も他人も傷つけない。

相手を傷つけずに、相手の動きを止める。 


その方法を、「極意」とせず、福祉や日常生活の実生活のサポートになるよう現在活動中なのです。



パニックになって自傷や他傷する子どもの動きを止めようと、

必死になって力づくで押さえ込んだ経験のある人は、少なからずいらっしゃると思います。

そんな時、暴れている人をどうすれば、その人を傷つけずに動きを止められるのか。

例えば、噛み付こうとする子どものどこをどう押さえることが出来たら、

その行動を止めることができるのか。


また、重度の障害などで身体が動かない人を支えるとき、

どんな風にすれば自分(支える側)への負担を最小限に出来るのか。


一つ、教えていただいたことは、

大切なのは「イメージ」なのである。ということ。

例えば、車イスを押すとき、どうしても押している手に力が入ってしまいますよね。

そんな時、

「車輪の先が自分の手だと思うようにする」

イメージするのです。

すると、車イスを押している手への負担が減るのです。


武術を極めるのに大切なことは、「力の流れの使い方」なのだそうで、

剣術では、剣を握っている部分に力を入れるのではなく、

剣の先端を自分の手だと感じながら剣を使うのだそう。


人間の身体は、<心=身体>なので、イメージを先行させることで、力の入り方が全くかわってくるのです。


そんな「極意」を知っていると、日々の生活が少しラクになるのではないでしょうか。

いや、知っているのと知らないのとでは、大違い!かもしれません。



これらは、廣木さんご自身があらゆる実践と経験、理論を研究されて生み出されたもの。

ただ、廣木さんが「パニック時のサポート」という事に関しておっしゃるには、

相手を傷つけずに、動きを止めることが出来たとしても、これは「対処法」に過ぎないということ。

パニックなどの行動には、何らかの理由があるはず。

まずは、その行動を止める対処法があり、

「なぜ、そのような行動をしたのか?」という理由を考えることが必要であり、

そして、その後どのようにしていくのか?と考えること。

この3つが揃ってこそのサポートである。と。



おっしゃるとおり。

2時間ほどお話をお聴きしたのですが、「すごい、すごーい!」と、納得することばかり!

私自身、まだまだ教わりたいことばかりですので、ぜひ道場へ足を運びたいと思っています。


道場は数箇所で開かれています。

興味ある方は、上に書きましたHPへアクセスしてみてください。


追記 :現在の「躰全道」は、自他護身の技術をより深めることを目的とした

      「護道」(ごどう)という新たな名称に変更されています。

     護道オフィシャルサイトはこちら→http://go-do.net/index.html
2009.06.25 Thu l BF研 l COM(2) TB(0) l top ▲
久しぶりに一気読みしました!

告白

昨年から、さんざん話題になっていました『告白』。

遅ればせながら手にとってみました。

評判通り、読み出したら止まらない驚愕の一冊でした。


第一章「聖職者」は、4歳の一人娘を亡くした中学教師の告白からはじまります。


  「愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからです」


教員を辞職する最後の日のホームルーム。

たんたんと冷静に(いや冷淡に)彼女は告白をはじめるのです。


 「殺意はあったけれど直接手を下したわけではない少年A。

   殺意はなかったけれど、直接手を下すことになった少年B。」


殺人の真相はすでにあきらか。

しかし、彼女は警察には真相を話さない。

なぜなら、法に処罰を委ねたところで、「少年法」に守られ、

大人しく児童自立支援施設かどこかで作文でも書いていれば、

数年後、何食わぬ顔をして社会に復帰できるからです。



そうして、この告白から、彼女の 復讐 がはじまるのです。

その恐ろしい告白からはじまる…クラスの子ども達、またその親の「告白」

いじめ、暴走、虐待、ねたみ、悪意、残虐、自己中心的、、、あらゆる人間の負の部分が

これでもか!というくらいさらけ出される。それもとてもリアルに。


中でも、今、世の中に渦まいていることって、まさに次ようなことなのではないか、と思ってしまいました。


「ほとんどの人たちは、他人から賞賛されたいという願望を少なからず持っているのではないでしょうか。

しかし、良いことや、立派なことをするのは大変です。

では、一番簡単な方法は何か。悪いことをした人を責めればいいのです。

それでも、一番最初に糾弾する人、糾弾の先頭に立つ人は相当な勇気が必要だと思います。

立ち上がるのは、自分だけかもしれないのですから。

でも、糾弾した誰かに追随することはとても簡単です。

自分の理念など必要なく、自分も自分も、と言っていればいいのですから。

その上、良いことをしながら、日頃のストレスも発散させることができるのですから、

この上ない快感を得ることができるのではないでしょうか。

そして、一度その快感を覚えると、一つの裁きが終わっても、新しい快感を得たいがために、

次に糾弾する相手を捜すのではないでしょうか。

初めは、残虐な悪人を糾弾していても、

次第に、糾弾されるべき人を無理矢理作り出そうとするのではないでしょうか。

そうなればもう、中世ヨーロッパの魔女裁判です。

愚かな凡人たちは、一番肝心なことを忘れていると思うのです。

自分たちには裁く権利などない、ということを……。」



そうして、最後に語られる衝撃のラスト。

このラストについては、「後味が悪い」というような事が言われているようですが、

わたしにとっては、爽快なくらい。


私自身、本中にも出てくる「K市児童殺傷事件」や「H市母子殺人事件」の報道を見ながら…

「もし、自分の子どもが殺されたら」 ということを考えたことがあります。


もしそうなったら、、、、

絶対に復讐してやる。 と。

法の裁きになんて、奪わせない。自分の手で裁くのだ。 と。


「憎しみを憎しみで返してはいけない。それで心が晴れることなど、絶対にないはずだ。」


そんなことは、百も承知です。

でもこれは、出来る出来ないやるやらない、の問題ではなく想いはそうなのです。


ですから、小説の中だけでも、こんな凄い復讐を果たすことのできた悠子先生に、私はあっぱれです。


最後の言葉

「ねぇ、渡辺くん。 これが本当の復讐であり、あなたの更生の第一歩だとは思いませんか?」



さて、どんな復讐だったのか?

気になった方は「告白」読んでみて下さい☆
2009.06.22 Mon l 本・アート・音楽・映画 l COM(0) TB(0) l top ▲
本日水曜日。

実は。。。ゆうちゃんは、ここ1ヶ月間。

毎週水曜日、な、なんと!学校へ行ってるのです


元々、水曜の訪問日は、午後から「ゆうちゃんの担任+もうひとり男の先生」が来て下さいます。

(ちなみに火曜と木曜に、ゆうちゃんの担任の女の先生が午前中にきてくださいます。)



これまで、午前中は動きが鈍く、午後から先生二人が来て下さることを楽しんでいる様子でした。


そんな日々が続いて一年。


最初のうちは、先生が来るのを待っている様子だったのですが、

だんだんと、「先生くるよー」と言うと、トイレに逃げ込んでしまったり、ビデオを観て止めなかったり…。

だんだんと午後の授業が億劫になってきてる様子なのです。


考えてみると、

生徒一人に対して先生二人。 うーん…フツウならちょっと息苦しいですよね。


もちろん先生方は、無理やりに何かさせようとか、そんなことはされませんし、

ゆうちゃんの気持ちを優先させて授業を考えて下さいます。


でも、はやり「先生」ですから。

先生二人。というのが、ちょっと威圧的に感じるようになってきたのかもしれません。

もちろん、これまでは、先生二人が来てくださることで出来るようになった事はたくさんあるのです。

でも、ゆうちゃんの中でいろんな事が繋がり、世界が広がり始めた今。

いろんな事が見えはじめ、

「なんで先生二人もくるねん」 って気持ちになってきたのかもしれません。
(いや、これは単なるハハの憶測ですけど


そんな時に、「ゆうちゃん、学校行ってみる?」と聞くと、

「がっこういく!」という返事が!!

学校へ着いたら、なんと!ちゃんと自分の教室に入ってみんなと一緒に机に座るではありませんか!

もうびっくりです。


それから、毎週水曜日には学校へ行くようになったのです。

ただ、それもゆうちゃんの気持ち次第。

その日の朝に、ゆうちゃんの気持ちを確かめて、

ゆうちゃんが「がっこういく!」と返事をすれば、学校へスクーリングに。

そして、「いかない」と返事をした時には、これまで通り訪問に。


学校では、遊具で遊ぶこともあれば、木に登ったり、また授業に参加したり。

木に登っている姿をみた教頭先生は、

「ゆうちゃんにお願いがあるねん、あの木に登ってビワ採ってきてくれへんか?」と(笑)


なんだか、こんなに自由にさせてもらって良いのだろうか。と申し訳ないくらい。

本当に、この学校へ進学できたこと、素晴らしい先生方に出会えたことに心から感謝しています。

そして、何より自分の意思で学校へ行き始めたゆうちゃん。

その成長振りに、本当に驚かされる毎日です!



さて、来週の水曜はどうなるでしょう?(笑)
2009.06.17 Wed l 今日のゆうちゃん l COM(0) TB(0) l top ▲
ゆうちゃんの部屋がスゴイことになってます

IMG_2502.jpg

小さい頃から並べることが大好きなゆうちゃんは、「箱庭」遊びが大好き。

机の上にいろんなものを並べて「ゆうちゃん流箱庭」をやっていました。

その箱庭が進歩して(?)

「箱部屋」になってしまいました(笑)

(箱部屋っていうと、妙にニュアンスがかわっちゃいますね

IMG_2503.jpg

扉の中まで!めっちゃ細かいっ!(笑)
IMG_2505.jpg


そして、なにやら忙しそうに一階と二階を行ったり来たりバタバタしているゆうちゃん。

しかも、ガタガタと大きい音がするので覗きにいってみると。。。

なんと、隣の部屋から物干し竿を持ってきて、↓こんなことになってました(ビックリ)

IMG_2509.jpg


そして、それを見守るハットキョウ (笑)

IMG_2498.jpg

なぜか?ハットキョウの位置はココみたいです(笑)


そして、こうしている間、チチとハハを部屋へは入れてくれません。

入っていくと、「ばいばーい、ばいばーい」 といって追い出されます。


なんだか、本当に一歩一歩オトナになっていってるんだなぁ~としみじみ感じ、

やっぱりちょっと寂しいハハなのでした。
2009.06.15 Mon l 今日のゆうちゃん l COM(0) TB(0) l top ▲
道へのこだわり、トイレへのこだわりなど、「こだわり」のことを書いていて、読み返した一冊。

村瀬 学 / 「自閉症」-これまでの見解に異議あり! 

この本は、私が読んだ「自閉症」と名の付いた本の中で、唯一共感し納得できた一冊。

それは、「自閉症」を論じているのではなく、「自閉症論」批判を論じるというもの。


村瀬学


まずは、村瀬先生が書かれている文章を引用します。


自閉症児の特徴は、 「変化への抵抗」 ・ 「同一性の保持」 という点にみられる。

数、 暦、 地図 の発見は人類が作り出した三大叡智であるが、

「順序」 や 「配列」 が損なわれるとき、

人は誰でもある程度のパニック状態になる。

自閉症児の「おそれ」の根には、こうしたメカニズムが働いていることがみて取れる。

彼らとわれわれは決して断絶しているのではなく、むしろ同じ地平に立っている。

これまでの  自閉症=特殊論  に異議を唱え、

この生のあり方がだれにでも共感でき、理解できるものであることを主張する。




私が、ゆうちゃんを育てながらいつも感じていることは、

「私は、ゆうちゃんに人間の本来あるべき姿を教えてもらっている。」ということ。

随分前に、このブログを読んで下さっているある方から↓コメントを頂いたのですが、


「私達は、普通に生活していて
 
 自然の一部だと言うことを忘れているよね。

 ゆうちゃんが、それを教えてくれているんだね。」



おっしゃるその通り。

ゆうちゃんの歩調に合わせて歩むようになると、世界が変ったのです。

忘れていた、気づかなかった、知らなかった、たくさんのことが見えてきたのです。

今まで見えていなかったものが見えはじめ、

(でもそれは、全く異世界のものではなく、自分の中にあるはずの何かであることに気づき)

自分がとても豊かになっていることに気がついたのです。

村瀬先生が書いておられるとおり、

「彼らとわれわれは決して断絶しているのではなく、むしろ同じ地平に立っている。

 この生のあり方がだれにでも共感でき、理解できるものである。」 と私も強く思うのです。



そして、この本の中には、

私が、「ティーチプログラム」に対して抱いている嫌悪感の本質的なこともズバリ書かれてあり、

なるほど!と納得させられることばかりだったのです。

(昔書いた記事はこちら→ティーチプログラム )


<「TEACCHプログラム」への疑問>より引用。

「TEACCHプログラム」というのは、言葉の通じない子ども達に「視覚化」した教材を使って

教育するという発想のもとに、ノースカロナイナ大学医学部で生まれたものである。


確かに、「順番」や「順序」「配列」にこだわる子どもたちがいて、

そういうこだわりを生かして、日常生活で繰り返される手順や順序、段取りを、絵カードにして

わかりやすく子どもと共有するというものは、理にかなっていると思う。

しかし、そういう順序や段取りの絵カードを使う暮らしぶりを、

どうして「プログラム」や「トレーニング」というような用語を使って実施しなければならないのか、

私はいつも疑問に思ってきた。

子どもを「訓練」の対象のように見て欲しくないと、かねてから思ってきたからだ。


大事なことは、暮らしの中で、その子どもがこだわりやすい手順や段取りに注意を向けることで、

そういう日常の暮らしにそった視覚化をすることを、別に批判的に思っているわけでもない。

ただ、そうした暮らしの段取りを「生活スキル」とか「家事スキル」とかいうふうに

特別な用語で呼ぶアカデミズムには、生理的に受け入れないものを私は感じてきたのだか、

それは私だけの感じなのだろうか。



これを読んだ時、

私の中で何かが浄化されていくような気持ち良さを感じました。

だって、驚くほど私の思いを明確に書いて下さっているんですもの!


このようにして、

村瀬先生は「自閉症児のこだわり」や「育てにくさ(家族の苦労)」の中に、

実は、「自閉症」の問題という枠を外して、私達自身の抱える、

私達が生きるために支えられている仕組みを考えることがあるはずだ

書かれているのです。


例えば 「並んでいるもの」 へのこだわり。

「並んでいるもの」 のことを考えるときに、「並んでいるもの」にまつわる自分のことを少し書いてみたい。

大学に入って最初に戸惑ったことは、自分の机がないということだった。

高校時代は「座席」というものがあって、学校へ行くと決められた自分の机にカバンを置いて、

友達とおしゃべりをしていればよかったのだが、

大学には 「教室」 はあるのだが、自分の 「座席」 がなかった。

ここがあなたの場所ですよといってもらえる決められた自分の場所がないというのは不安なものである。


この「座席」というものを、大きく 「社会」の中の「座席」 とか、 人生の中の「座席」 というように考えてみると、

そこで 「自分の居場所」 というふうなことが問題になってくる。

例えば 「家」 は、私にとっても 「座席」 である。

私の氏名、年齢、職業も実は、 「座席」 である。

私は自由にそれらを置くことは許されない。

それらは、社会に登録される「座席」として容認されてきたものである。


ふだんはそういうことは意識しないけれど、私達はこうした「座席」によって守られており、

その固定した位置を得ることで、揺れ動く世界の中での「安全圏」を得ることができている。

動かない「起点」が確保できて、揺れ動く世界に出て「自由」なことができる。


それでは、なぜ、自閉症の問題を考えるのに、このような「座席」の考察が必要なのか。

これは、今まで「自閉症」と呼んできた人たちの行動を、

あまりにも  症状  として見すぎてきたがために、

そういう行動がもっている普通の意味を考えることがなかったからである。


「症状」とされた行動は、あまりにも特別視され、特別な用語で語られすぎてきたのである



例えば、自閉症と診断されてきた子ども達の中にもっとも顕著に見られてきたのが、

「同一性保持」とか「変化への抵抗」「強迫的な同一行動」と呼ばれてきたものだった。

それは、「物を一列に並べる」とか「部屋の中の並んでいる物を動かすと怒る」とか、

「道順にこだわる」くるくる回るような「同じ行動をいつまでも続ける」とか。

これらには、「列」にするとか、「列」にこだわる行動があるのが見て取れる。

つまり、順番に並んでいるものについてのこだわりが見られる。

しかし、「列」とはいったい何なのだろうか。

それが何かと問う発想がないと、こうした関心を示す人たちの行動の意味が見えてこない。

見えてこないから、「病気」 や 「症状」 にしてしまう発想がでてくることになる




村瀬先生は、ご自身の経験をはじめ、さまざまな例を挙げて、

自閉症といわれている人の行動が、普通といわれている人の行動とおなじ地平に立っていることを

丁寧に説いてゆくのです。


例えば、朝、あるべき場所に自分の歯ブラシが無かったとしたら…。

一瞬パニックになってしまわないか?

その朝の手順が狂わされてしまうことなってしまわないか?


また、映画「レインマン」の主人公:自閉症のレイモンドは、

カジノで、まだ並べていないカードの枚数を言い当てる。

もちろん、映画ですから誇張されているのは言うまでもないのですが、

まったくの作り話でないことは、「百人一首」という競技を思い出せばわかる、と言う。

並べてあるカードと、まだ読まれていないカードと、次に読まれるカードの、

三つの組み合わせを瞬時に読む取ることが出来るのだから、

トランプゲームで、複雑な読み取りも可能であることは想像できるのである。


このようにして、自閉症といわれる人の行動は、病気や症状ではなく、

私達と「同じ仕組み」を生きている人たちであることを主張されているのです。


しかも、「自閉とは症状ではなく関係なのだ」 と説く。

例えば、発達に遅れのある子ども と 教師 が関わるとき、教師側に子ども達への「自閉」が起こるのだと。

「固定した見方」を開けなくなる。

ある決まりきった尺度(診断基準)で彼らをみてすませてしまうことが日常化する。

それも、見方を変えれば教師側の「自閉」なのだ、と。





ゆうちゃんが、「道」にこだわり何度も同じ道を通らなければならなかったのは、

「座席」を確認するための作業だった。と思えばとても納得できることだし、

ひとつ前の記事「トイレ」に、まめさんがコメントを下さいましたが、

「こだわり」というのも、実は、私達の中にフツウにあることなんですよね。

そう考えると、自閉症の特徴だといわれていることも、「症状」なんかじゃなく、

私たちとなんら変わりはないことだと思えてくるのです。

こんな風に見方を変えてみると、困った行動だと思っていた事が、少し違って見えてくるのではないか、

と思うのです。



自閉症に関わる関わらない関係なく、ぜひたくさんの方に読んで欲しいな、と思う一冊です。
2009.06.11 Thu l 本・アート・音楽・映画 l COM(2) TB(0) l top ▲
どこへ行っても トイレ の水を流さなければ気がすまないゆうちゃん。

とってもスムーズに出かけることができた広島旅行でしたが、

トイレへのこだわりは、そう簡単に無くなるものではありません。


道中、あちらこちらのトイレ巡りをして参りました。

一番時間がかかったのが、行きの山陽自動車道「小谷SA」

約一時間、トイレから出てきませんでした。

こんなとき、私は外で待っているだけですが、一番大変なのは、ゆうちゃんに付き合っているチチ。

文句一つ言わずに、ゆうちゃんに付き合うチチには本当に頭が下がります。


それでもまぁ、私達にとってこれくらいのことは全くの想定内(笑)


しかも!ここのトイレは広くてとてもキレイで快適なので、

ゆうちゃんがなかなか出てこないのもなんとなく納得。


IMG_2396.jpg

障害者用トイレの前は、屋根付きの身体障害者用駐車スペースとなっていますし、

全てのスペースがとても広く、自動ドアにもなっているので、本当に快適。

トイレランキングなるものがあるとしたら、上位にくること間違いナシ!


そして、面白かったのは「宮島」でのトイレ。

IMG_2444.jpg

ここのトイレは、鹿が入り込まないように、鹿避けの門が取り付けられていたのです。



真っ先に、トイレを見つけて行こうとしたゆうちゃんでしたが…。

門を見て一瞬立ち止まったので、

「ゆうちゃん、門閉まってるから入れないわー」 と言うと

あっさりと あきらめたんです!!

そのゆうちゃんのあきらめっぷりにはビックリ!

そして、鹿避けならぬゆうちゃんをも遮る…恐るべし門に感動したのでした(笑)
2009.06.03 Wed l 今日のゆうちゃん l COM(4) TB(0) l top ▲
行って参りました広島

ものすごく充実した二日間を過ごすことが出来ました

以下、写真でご報告。


とりい



ひろでん



厳島



原爆ドーム



サダコ



守さん


ゆうちゃんの中に何を残せただろうか。

きっと目には見えない大きな何かを感じ取ってくれたはず。

こんな素晴らしい時間を与えて下さった全ての事に心から感謝致します。
2009.06.02 Tue l 今日のゆうちゃん l COM(6) TB(0) l top ▲
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